2008/3/29
『鹿男あおによし』では、奈良・京都・大阪の三角が物語の背景となっていて、その中でもっとも影の薄かったのが「鼠」の大阪だったのだが、三角形の3辺を閉じるべく、ここでも大阪の巻によってご当地文学紹介のアンソロジーをしめくくろうと思ったのだけれど、なかなか浮かばない。苦し紛れに紹介するのが下の作品。
『モーダルな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活』
奥泉光 文芸春秋 2005.7.30
この小説は、『バナールな現象』のメタフィクショナル・サスペンスと『鳥類学者のファンタジア』の時空スリップSF、『『我輩は猫である』殺人事件』のパスティーシュ・パロディ文学の系列が一つに縒り合わされたような感じで、奥泉らしいエンターテインメント作品に仕上がっている。分量も、五百頁という結構な大作かつ力作なのだが、全編くだけた調子で、多少悪ノリの嫌いもあるかと思わせるほど筆のノリもよく、随所にトホホ感に満ちた笑いが塗されていて、ついニヤニヤしながら読み進めてしまう。
主人公は、五流女子大の国文学助教授(近頃は助教授と呼ばずに准教授と呼ぶようになりましたが)の桑幸こと桑潟幸一。彼は日本近代文学の研究者で研究対象は太宰治なのだけれど、さしたる業績も無く、アカデミックとはとてもいえない地方の女子大で埋もれようとしている。その彼のもとへ生前の太宰と関わりのあった童話作家の遺稿が持ち込まれ、その遺稿の監修者兼発見者にまつりあげられて出版した本が大ヒットしたまではよかったのだが、遺稿を持ち込んだ出版社の編集人が首なし死体で発見されて、事態は奇妙な方向へ捩くれていくのだった・・・
桑幸の通う五流女子大というのが、大阪のなかでもよりローカルな東大阪の近鉄奈良線沿線にあるという設定で、生駒山やら永和駅やらのマイナーな地名も作中にみられるのだが、この辺りの地理描写にはおそらく、奥泉光が後藤明生や渡部直己などの引きあいから教えに来ていた近畿大学での講師経験がいかされているのだろう。大阪の梅田や道頓堀あたりも主人公の生活圏域となっているなかで、主人公が環状線に乗って難波に出るというところもご愛嬌。その他、遠畿大学だとか、梅田の利伊國屋、堂島のシャンク堂、神田反省堂ビルなどは非常に適当なネーミングで、文芸批評家の鍋直美氏、同じく批評家の鮭秀実氏まで登場する始末。
東大阪というロケーションが、主人公のダメダメ感をよりアイロニカルに際立たせているという点で非常に効果的なのだ。ここはやはり東大阪でなければならなかったのだろう。大学の教授会だとかの学内の様子や、一冊の本の出版を巡る編集者や出版業界の描写などにもトホホ感が漂っている。主人公も作中で以下のように述懐しているくらいだ。
自分の勉強が一向に進まず、精神が絶えず弛緩しているのは、おもに大阪のせいである。大阪が悪いのである。大阪が人をしてアホに変えるのである。さような真理にいきなり想到した桑幸は、通勤に不便でもいいから、京都か奈良に引っ越そうと考え、この思いつきにたちまち夢中になった。
桑幸にここまで言わしめる大阪、それはそれで万歳なのだが、物語は半ば過ぎから桑幸の元を離れ、舞台も東大阪から瀬戸内海の小島へと移され、『鳥類学者のファンタジア』の主人公フォギーの友人であるジャズシンガーの北川アキと諸橋倫敦の元夫婦刑事が活躍を始める。その頃から物語は本格ミステリーっぽく、謎解きが主軸となり多少単線的に筋道を追う展開となってしまい、それはそれで面白いのだが、個人的にはもう少し桑幸に活躍して欲しかったところ。
とにかく、様々な要素が詰まったエンターテインメントな長編ミステリーで、新刊で出たときに読んで今回再読したときはほとんどその内容を忘れていたこともあって、今回も結構面白く読めました。これが今のところ奥泉光の最新作のようだから、そろそろ新作の期待も膨らんでくるのだった。
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