「Letters between You and ... −日記論03」
日記論
ここが公開の場である限り、この日記を自分以外の誰かに向けて書いているのだということに、私は意識的にならざるをえません。しかし、実際はご覧のとおりの有様で、他者としての読み手を意識しているなどと書けば笑われそうなほど、このWEB日記は訪れる人もほとんどなくひっそり閑として、孤独な場所となっています。でも、本来書くということは孤独な作業だと思っていますから、ここをたくさんの人が訪れてカウンターがどんどん廻っていくことなど望みもしません。ただ、この雰囲気が悪くないと思ってくださる人がいらしたとして、そのようなごく限られた人に時折訪ねていただけるような場所となればそれで十分幸せなのです。
本来、「書くこと」の意味は書き手のなかに内在しているものであって、読み手の側にあるのではありません。読み手の側には「読むこと」の意味しかないのです。そして同一のテクストを巡る「書くこと」と「読むこと」の意味は決してイコールではありません。そこには切断といってもよい関係があるでしょう。その「切断」こそが「読み手」と「書き手」の間にあるイマジネールな閾というものではないでしょうか。
一方で、この場所を開いてしばらくになりますが、WEB日記というものはなかなか面白いものだと思うようになりました。それを書くまでは、日記はおろかほとんど私的な文章というものを書くことはありませんでしたし、書く必要も感じなかったのに、いざ書こうと思えば書くことがあるものです。覚え書き程度の事柄で、書かなければそれはそれで雲散霧消してしまうようなものですが、書けば書いたでそれがまた別の書くことを要請するという感じで、記憶の連鎖反応のような形で書く事柄が浮上してきます。そしてその事柄にケリをつけようとして、また書き始める。事柄にケリをつけるというのは、おそらく書くことによってその事柄を忘却するということなのです。ただしこの連鎖反応は、書き始めの頃に特有の現象で早々に枯渇するのかもしれませんが。
私は自分も含めて身近なことにはあまり興味がないので、自分の日常のあれこれを書く気にはなれないのですが、一方で、自分が面白いと感じたもの、気になった事柄についてはそれを書きとめておきたいという欲求があるので、どうしても書くものには記憶の描写や外部対象の叙述・引用が多くなります。ある意味でこの日記はそのような記憶の収蔵庫・引用の織物でいいと考えています。そのような場所を自分の外部に設定することで、自分の脳の外部化を図っているのでしょう。ですから、一旦手にしたノートパソコンが手放せないように、一旦書き始めたWEB日記も止め難いものとなりそうです。それに加えて、この場所は自分以外の外部と繋がっています。まさに今、あなたがご覧になってらっしゃるということも含めて、今後、外部の作用によってはこの空間がどのように異化されるかも知れませんが、そういったこともネットの可能性として視野に入れつつ、しばらくこのWEB日記を続けていくことになるでしょう。
直接には関係のない複数の日記も、WEBの世界では、応答しようと思えばそれが可能な対話空間です。あなたの日記は、「書かれたもの」として常に私に「問いかけ」、「呼びかけ」ることでしょう。あなたの日記はいつも手紙となって私に届いているのです。

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