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2016/9/24  新体制  


ご無沙汰しております。
3年の内田です。
蒸し暑さの続く日々が終わりだんだんと秋へ移ってきて雨の日や寒い日が増えてきましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
私はこの夏、高校からの友達の家で泊まりで宅飲みをしたり、つい先日帰省をしてお盆に行けなかった祖先のお墓に手を合わせたりと普段あまりできないことをして過ごしました!

さて、ご挨拶が遅れましたが、来シーズンの水泳部全体主将及び競泳主将を務めさせていただきます。
私はこの夏、自分が誰のために頑張るのかについて考える機会がありました。そこで改めて自分だけではなく、周りの人々に支えられているからこそ頑張れるのだと強く思いました。
この水泳部の日々の活動はOB•OGの皆様のご支援の下で行うことができています。この一年間自分のため、チームのため、そして支えてくださるOB•OGの皆様のために主将として精一杯頑張っていきますので、今後とも変わらぬご声援のほどよろしくお願い申し上げます。

それでは次は同期の徳永に回します。
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2016/9/21  私が水泳部を続けた理由  

ご無沙汰しております。去る8月まで主将を務めておりました市川です。
9月の頭から始まった引退ブログリレーも私で最後になります。同時に個人的にも最後の水泳部ログ更新となりますので、4年間の軌跡を振り返りながら、一字一句丁寧に気持ちを込めて書きたいと思います。

早速本題の「なぜ水泳を続けてきたか」という問いの答えですが、それは「楽しかったから」の一言に尽きます。

私は、大学生活において水球のことばかり考えていましたので、水球に関しては少し長くなってしまうと思います。「何を考え、何に楽しさを感じていたのか」時系列に沿って話したいと思います。

私は高校まで水球をしていたため、一年目から活躍することができ、先輩やOBの方、他大学の人に褒められることが多くありました。高校時代は怒られっぱなしだったので、当時は褒められることがうれしく、それが楽しく水球をしていました。しかし、学生リーグの成績は0勝。チームが認められないのであれば、自分だけでも認められたい。そう思って自分が活躍することを中心に考えていました。その考えは1年の三商で市大に負けたときに変わりました。相手に自分より上手い選手は一人もいませんでした。しかし自分は敗れ、市大は勝利を喜びあっている。その光景はとっても悔しいものでした。それから「自分だけじゃだめだ。チームとして強くならないと」と思い始めました。
そして、チームの強化に取り組み、半年後2月の東日本リーグで公式戦初勝利を挙げることが出来ました。みんなで掴んだ勝利がこんなにも嬉しいとは。そのときに自分が引退するまでに成し遂げることが決まりました。「勝てるチーム」をつくると決意した瞬間です。

2年目には、1年間勧誘し続けた今井と、新入生の徳永が入部してくれました。また、大河内がフローターとして頭角を現したことをはじめたこともあり、学生リーグで2勝、三商で優勝することが出来ました。「勝てる」チームの階段を上っている手ごたえを感じることが楽しい時期でした。この年の新歓で沢山の新入生が入部してくれてチームが賑やかになりました。

3年目は、結果の出ない試練の年でした。それまで個人のレベルアップに注力していた練習から、「チームを強くする」ための練習への転換点でした。経験者の今井、徳永、高橋と作戦班を組んで、話し合い、「勝てるチーム」になるための作戦を考えました。メンバー一人ひとりと向き合い、個人の力をどうチームの強さに昇華させるか考えました。自分の経験や作戦班の力、メンバーみんなの考えを組み立て、理想のチーム像を紡ぎだすことは、一筋縄ではいかず、今でも正解にたどり着いたかは分かりませんが、チームスポーツの神髄を見ているようでやりがいのある楽しいものでした。

そして4年目。学生リーグは始めこそ思い通りにはいかず苦しい思いもしましたが、最終的には2部3位という成績を残すことが出来ました。もちろん勝ち進むことは楽しいことでしたが、実は、練習や試合を通して未経験者の後輩たちが成長する姿を見ることが何よりも楽しいことでした。後輩は4年生がすごかったと言ってくれますが、大河内がケガで欠場しても、今井が就活で試合を休んでも決勝リーグまで駒を進められたのは間違いなく後輩達の力でした。3位決定戦の5P合戦で一番手の私がシュートを外したにもかかわらず試合に勝てたときは、心強いメンバーのいる「強いチーム」になったと心から感じました。


一方競泳は、はじめこそやる気がなかったものの、関カレで得点という役割を与えられてからやりがいのあるものに変わりました。みんなの力を借りて、自分が速くなることを考えるのは、水球とは対照的でいいリフレッシュになっていました。
また、競技としての競泳はほとんど未経験で、フォームを練習すればするほど速くなり結果が出ることが楽しくなりました。山川を筆頭に私のフォームを見てくれたみんなや、アドバイスをくださったOBの方々ありがとうございました。

結果として水球も競泳も目標を達成できませんでしたが、後悔の念よりも達成感が大きくあります。それも、やりがいをもって楽しみながら部員のみんなと進んで来たからだと思います。

最後になりましたが、OB・OGの皆様、一橋水球が苦しい時期を支えてこられた先輩方、水泳部の活動にご理解いただいた部員のご家族の皆様、練習でお世話になった東工大・武蔵高校・首都大・東大・学習院大やその他水球関係者の皆様、メガロス関係者、その他水泳部関係者各位、最後の1年間全体主将を務めさせていただき、多くの方々のご協力があって一橋水泳部の活動が成り立っていることを実感いたしました。この場をお借りして御礼申し上げたいと思います。加えて、突っ走る水球主将についてきてくれた水球メンのみんな、頼りない全体主将を慕ってくれた部員の皆さん、至らぬ点も多くあったと思いますがありがとうございました。
水泳部での経験は一生の宝です。今の自分が多くの方の支えがあってこそだということを忘れず、水泳部で培った自分に自信を持って社会に出ていきたいと思います。


次は、次期主将の内田君に回します。
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2016/9/18  私が水泳を続けた理由  

ご無沙汰しております。4年の大河内です。

私も遂に引退の時を迎えました。一橋大学水泳部に入部し、様々なことを経験しましたが、良い同期や先輩後輩に恵まれ、とても楽しく3年半を過ごすことができました。
振り返ってみて一番の驚きはやはり、水球しかやらないと言って入部したはずが、最後には競泳主将をやっているということでしょうか。笑

さて私がなぜ水泳を続けてきたか、という問いについてですが、自分の中では一つの水泳を続けてきたという自覚はありません。3歳で始め、12歳の夏までスイミングスクールで泳ぎ続けた水泳と、中高のプールで水に浸かるだけで、おしゃべりや野球を楽しむ水泳部と、チームのために泳ぐ大学での競泳・水球はあまりにも違うものでした。それぞれに異なる楽しさがありましたが、共通して言えることは“水の中にいること”が好きだったのだと思います。
壁を蹴った後、体が自然と浮いてくる感覚。水を切るように進んでいく感覚。疲れて体が思うように動かなくなった感覚。日々の練習から自分と向き合い、忍耐力が必要なスポーツでしたが、今振り返ってみると水の中で動くことが面白く、好きでした。

ここからは大学での水球、競泳について書きたいと思います。
大学ではチームスポーツをやりたいと思い、水球を始めましたが、私が入部した頃の一橋水球は敗北の連続に耐える日々でした。しかし幸いなことに、同期に市川がいたことや2年生になって今井や徳永など頼もしい経験者が増えたことで、チームが徐々に強くなっていき、今まで勝てなかった相手に勝てるようになるという成功体験を積み重ねることができました。苦しい状況を耐え抜いて、仲間と共に勝利をもぎ取った時の喜びはひとしおで、それは次なる努力の糧となり、そうしたサイクルは私に充実した生活をもたらしてくれました。練習嫌いの私が過酷なスポーツとして挙げられる水球をやり続けることができたのはこのおかげだと思っています。

チームスポーツがやりたいと思っていた私は当初、競泳にまったく興味を持っていませんでしたが、自分が思っていた以上に大学の競泳はチームで行うものでした。練習や大会で部員同士が励まし合うのは勿論のこと、それぞれが大学の名前を背負って、チームのために与えられた役割を熟し、全員で部の目標に向かって練習に臨む。私のこれまでの水泳ではこのような経験はなく、とても新鮮でした。また、昨年秋から競泳主将を務める中で、不器用なりにチームのことを考え、部活を引っ張っていくことはとても貴重な経験となりました。生意気ですが、自分のためだけでなく、誰かのために泳ぐというのもとても気持ちの良いものでした。

これからも水泳は細く長く続けていきたいと思っています。

最後になりましたが、充実した水泳部生活を送れたのは家族や水泳部の活動で関わったすべての皆様、そして何よりOB・OGの皆様のご支援があってのことでした。本当にありがとうございました。これからは私もOBとして後輩の活動の一助となれればと思います。

次は市川に回します。
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2016/9/17  私が水泳を続けた理由  

お久しぶりです。4年の片貝です。

みなさんはどんなOFF期間をお過ごしですか?私は旅行に旅行に…今までにないくらい夏休み!って感じの生活を送っております。

さて、私も「私が水泳を続けた理由」について書きたいと思います。私が水泳を続けた理由は純粋に水泳が好きだからだと思います。一度引退したはずの水泳を大学でも出来ると知った時、私はほかのサークルには見向きもせず水泳部に入ると自然と決めていました。

先日、何気なく開いた幼稚園の卒園文集の「ゆめ」の欄に「水泳のオリンピック選手になりたい」と書いてありました。幼稚園生とは思えないスケールの大きい夢を抱いていました。可愛くないですね。笑 でもその頃から本当に水泳が好きだったのだときづかされました。
また、就職活動中に面接官から「辞めたいと思った時はどんな時?」という質問を受けた時、16年間の水泳人生を振り返って1度も水泳を辞めたいと思ったことはありませんでした。どんな辛い練習でも、どれだけコーチに怒鳴られても、水泳を続けていました。

私には本当に「水泳が好き」という一言に尽きると思います。

水泳部で過ごした3年半は楽しいことばかりではありませんでしたが、選手としてはもちろん、幹部として、メニュー班として部活に関わることができたこと。学ぶことが多く本当に有意義な時間を過ごすことができました。先輩方や同期、賑やかな後輩と一緒に練習ができたこと、勝手に仲間意識をしていた2コースメンバーやバッタ陣のおかげで最後まで頑張ることができました。本当にありがとうございます。

後輩のみなさんの今後に期待しています。本当に頑張ってください。応援しています。

最後になりましたが、3年半の間、なに不自由なく一橋水泳部での活動を送ることができたのはOB・OGの皆様のご支援があったからこそと心より感謝致しております。本当にありがとうございました。これからはOGとして後輩の応援をしていこうと思います。今後ともよろしくお願い致します。

次は大河内くんに回します。
1年間、競泳主将お疲れ様でした。
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2016/9/15  私が水泳を続けた理由  

私が水泳を続けた理由

こんにちは。四年の黒谷です。

私が水泳を続けた理由は、一橋大学水泳部のことが大好きだったからだと思います。
新歓で初めて朝練をみにいったとき、大きな声を出しながら、真剣に競泳に取り組んでいる先輩方をみて、感動しました。
中高ともに水泳ができない環境で、時々無性に泳ぎたくなり、でも諦めていた中で、こんな素敵な先輩方がいる環境で泳げるんだと思うととても嬉しかったのを覚えています。
練習は大変でしたが、このメニューを終えたらまた速く泳げるようになるのかと思うとそんなにつらくはなく、むしろこんな初心者でも他の速い選手と泳がしてくれる一橋大学水泳部という環境があることに日々感謝していました。

きついメニューだとしても、泳げることが本当に嬉しくて、ここまで続けてこれましたが、楽しく練習に参加できていたのは、部員のおかげだと思います。
合宿で感じたのは、一人だったら絶対に6日間も毎日泳ぎ続けられなかったということです。メニュー班がいなければ、6日間泳ぎ続けられて、その中で一番力がつけられる絶妙な強度のメニューで泳ぐことはできなかったし、心が折れそうになっても、一緒に泳いでいる横や前や後ろの選手、マネージャーの存在がなかったら、その存在に鼓舞されて泳ぎ続けることができませんでした。日々の練習も同じです。
しんどいと思っても、周りの存在があったら、つらくても楽しく練習できました。だから、泳ぐことが本当に大好きになりました。続けることができました。

部員の皆さん、本当にありがとうございました。皆さんのこれからの活躍をお祈りします。頑張ってください!応援しています。
またOB・OGの皆様、3年半もの間、ご支援くださり、ありがとうございました。これからは、OGの一員として、一橋大学水泳部の活動を支えていけるように、精進していきたいと思います。

次はさわこちゃんに回します。
よろしく!









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