「【ヽ(-@∀@)ノ デッチage朝日】貴方は其れでも朝日新聞、読みますか?〜確か其の四〜【因果応報】」
ヽ(-@∀@)ノ デッチage朝日新聞
引用記事の色を変えた方が読みやすいかな、と考えて色を変えてみますた。如何でしょうか?突っ込みはいつもの通りの色で。新職場二日目で、まだまだ慣れずにアワワ ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿 アワワ と右往左往し疲労で思考能力減退を感じますが無理やり脳みそ動かしています、今夜のチラシの裏です。ヽ(-@∀@)ノ デッチage朝日の社説にて今回の「亀井・田中会談捏造事件」に触れられていますので引用、突っ込みいれたいと思います。
【記者と報道 事実の重みをかみしめて】〜朝日新聞WEB版9月2日記事〜
>朝日新聞社が起こした虚偽報道事件について、本社や総支局、各地の販売所に抗議や苦情が寄せられている。総数は3日間で1千通を超えた。事実を報じるべき新聞社が、架空の取材メモに基づいて誤った記事を載せたのだから、ただただおわびするしかない。
>寄せられているのは、ほとんどが憤りを抑えられないという声だ。「作り話を載せるのは読者に対する詐欺だ」「当分の間は記事を信じないことにする」。批判や指摘の一つひとつに、私たちは身を切られるような痛みを覚える。
お詫びするのはアタリマエですがな。「不良品」を消費者に掴ませたんですから。身を切るような痛みを覚えて、で何すんの?WEB上のお詫び記事もTOPではなく「お知らせ」に載せて、なんだかな〜、と思ってみたりするんですケードネ。
また、今回の事件を受けて新しく委員会を設けたそうですが「社内委員会」ですか。そうですか。参考記事:「虚偽のメモ」契機に社内委員会 取材方法など検証し報告 〜朝日新聞WEB版8月31日記事〜によると、
>吉田編集担当は同日、全編集局員に「解体的出直しが必要だ。読者に目を向けた自己改革を」などとするアピールを出しました。
だそうですが「アピールだけなら誰でも出来るがな・・・」と。実際に何すんの?どうすんの?また、内部で適当に手打ちでシャンシャンで終わらせるんジャマイカ?と激しく疑問符が付く「社内委員会」ですがな。
で、「社内委員会」とか「身内で固めた委員会」なんかは何時もの事なんで、純粋な第三者の検証委員会は チン☆⌒ 凵\(\・∀・) まだぁ?いっそのこと、朝日にいつも喧嘩を売る産経新聞の人や朝日批判のブログの管理人様でも呼んだらどうだろう。 社内の膿を一掃し朝日をまさに「解体」してくれると思うぞ。
>複雑な事件や事柄は、断片的な事実を取材し、積み上げることによって、少しずつ輪郭が見えてくる。政治の内実や企業提携のスクープ、調査報道ともなれば、事実をつかむための壁はいっそう高くなる。
>事情を知っている人々に何度も足を運び、早朝から深夜まで取材をする。そうした取材の中で、今回のように、一つでも架空の情報が混じり、それをチェックできなければ、事実は遠ざかる。
事実から「遠ざかる」どころかそもそもそんな「事実は無い」んだが。
「遠ざかる」なら手繰り寄せる事が可能だが、無いものはドコも掴めない。掴めないからといって架空の物語を書いたらそれはもう「報道」とは呼べない。「小説」や「物語」だ。いや、そうしたものには人生において何か役に立つ含蓄が有るが、「架空記事」は何も生み出さない。寧ろ、マイナスの影響を及ぼす。まさに「詐欺」だな。
>記者を志望する大学生と話すと、正義感や情熱、旺盛な好奇心に触れることが多い。そうした気持ちが、何年たったとしても記者の原点だと信じたい。
>社会のために役立ちたい。社会の中で自分の能力を生かしたい。そう思うのは、どんな職業でも同じだが、それを実現するのは容易ではない。他社や同僚との競争がある。命じられた仕事をこなせないときの重圧感は並大抵ではない。
>記者なら取材競争に疲れ果て、何もかも投げ出したくなることがある。だれもが一度は、そんな袋小路に迷い込む。
>それでも、気を取り直して取材現場に立ち戻る。自分の仕事にそれなりのやりがいと責任があると思うからだろう。
「競争」を「捏造」の理由には出来ませんがな。責任があると思うのなら捏造記事なんぞ最初から書くなや。「責任」の意味をもう一度考え直して顔洗って出直して来いや、だがな。朝日の「責任」とは何ぞや?朝日のお陰で迷惑を蒙った人やサンゴにはほっかむりか?
>記者の仕事は、事実を掘り起こして、社会に伝えることだ。取材するうちに、思いがけない事実が記者の目を開かせ、新たな事実の掘り起こしにつながることもある。それが的確で幅広い情報を読者に届けることになる。
>その出発点である取材がなければ、話にならない。まして想像でデータをつくり上げたのでは読者への背信になる。
其の背信行為を一体何度やってるのかと小一時間(ry
>今回の事件は、1人の若い記者に魔がさしたといって済むことではない。私たちは一昨日の社説で、そう書いた。
>朝日新聞社は「信頼される報道のために」委員会を設け、今回の経緯を含めて取材現場の実態や問題点を徹底的に点検することを始めた。
「点検」だけで終わったりして・・・。
>同時に、記者一人ひとりが事実の持つ重みを自覚して、事実を伝えるという記者の原点に戻らねばならないと思う。
>社説を担当する私たちも、読者の不信を浴びて、いたたまれない思いだ。
>企業や官公庁に不祥事があれば、それを批判してきた。「消費者より会社が大事か」「病弊の根は深い」と問い、「説明責任を果たせ」と迫ってきた。過去の社説の一言一句が、わが身にはね返ってくるのを痛感する。
「わが身に跳ね返ってくる」のは因果応報って事ダーネ。朝日は一つ日本語を覚えたww
で、そんな因果応報の朝日は「説明責任」という日本語もちゃんと理解してくれるんだろーかね?日頃、「謝罪と賠償を」や企業、政治家、日本政府などに「説明責任を果たせ」と詰め寄る朝日ですから、さぞや模範的な「説明責任」を果たしてくれると期待してるんですがね。って事で「記者会見!!記者会見!!!さっさと記者会見!!!!しばくぞ!!!!!」と布団ババァ風に〆てみますた。

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