実は、年末に妊娠している事がわかりました。その時点で5週目あたりだったんだけど、先生曰く「まだ受精卵が出来たばっかりで小さいので、また2週間後に来てください」との事でした。そして2週間後、また受診しました。
しかし7週目のはずなのにまだ心拍確認が出来ず、赤ちゃんの姿自体もモニターにはありませんでした。そしたら先生が「始めがすごく小さい状態だったからもう1週間様子をみましょう」と言いました。
ユナの時は初診で心拍確認が出来た。初診の日数は変わらないはずなのにおかしいな。。。と、最初から思ってたんだけど、その子によるのかな〜とも思っていました。
しかし、この時点で心拍確認が出来ないのやっぱりおかしい!と思い始め、自分でネットで調べました。そしたらある言葉が飛び込んで来ました。“
稽留流産”信じたい気持ちと疑う気持ち、そんな不安な気持ちを抱え、3度目の受診。やはりここでも心拍確認は出来ず、嫌な予感的中。“
稽留流産”と診断されました。
私の場合は染色体異常で受精卵自体が育たないということでした。その時点で頭の中は真っ白になり、その時の事はあまり覚えていません。
このままほおって置いてもどうなるものでもない。それならば前に進もうと決心し、その日のうちに手術の手続きをしました。
20日・・・子宮口を開くための処置。これがかなり痛かった。
21日・・・AM8:30より手術開始。左手に点滴を受けながら、右手には血圧計。肩に注射をされ、次は全身麻酔。頭はグルグル回り、眠くなるのだけど、私は少し意識があり手術の痛みも感じました。終わったのもわかったんだけどそこからの記憶がなく、気がついた時には看護婦さんに「今、手術が終わってから1時間経ちました。」と言われました。それからまたぼーっとしていて、次に気がつくと「AM11:30です」と言われ、朦朧とする意識の中、車椅子で病室へ移動しました。
暫く病室で休んでいると、マミー、続いてユナとパパがやってきました。ユナはいつもの私と違うと感じたのか、「おいで!」と言って手を差し伸べてもこちらに来ませんでした。
早く家に帰りたいと思うのだけれど、麻酔が完全に切れておらず、立ち上がると頭はフラフラ、気分も悪く、結局病院を出たのはPM3:30でした。しかし、気分が悪いのは収まらず、フラフラの状態で車に乗り、この日は何も出来そうになかったので私の実家へ泊まる事にしました。
看護婦さんに麻酔が完全に切れたら、気分も良くなってくると言われました。
実家に着き、少し眠って気がついた時には、嘘のように気分の悪さもなくなっていました。完全に麻酔が切れたようでした。
22日・・・診察を受ける。経過は順調。
子宮収縮剤を注射。そのため、お腹が痛くなり腰痛もする。また1週間後に来てくださいとのこと。
今、自分の中ですごく波があって「頑張ろう!」って前向きに明るく思える時もあるんだけど、ふと悲しくなって泣きそうになったり。。。
パパやユナにもあたりまくりで申し訳ない。だけどこの感情はどうしようもないんだよね。
でも今回の事は決して、無駄じゃない。命の重さ、大切さ、意味を改めて再確認しました。命は奇跡。少しの間でも、この子のママになれて私は幸せでした。
いつもと変わらず、ユナは笑う、泣く、怒る、ちょける、走ってづっこける、ママを困らせ放題。「マ〜マ」と言って抱きついてくれる。
ユナがいなければきっとボロボロになってた。ユナの存在でどれだけ救われている事か。。。
パパもユナの相手、家事の手助けありがとう。イライラしてあたりまくりだけどほんとは感謝してます。
いつも遊びに来てくれてる皆様もこの日記を読んで驚かれたと思います。そんなこんなでコメントのお返事など出来ませんでした。ごめんなさい。。
また落ち着いたら皆様のBlogにも遊びに行かせてくださいね。
これからも引き続きPermanent☆Dreamを随時更新して行きますので、宜しくお願い致します。

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