邪馬台国を行く C  


邪馬壹国は、邪馬臺国の誤りである。

どの邪馬台国論争の本を読んで見ても、「壹」 は 「臺」 の誤りとして、初めから扱っている。
その理由を、誰も書いてはいない。 ただ、誤りであると・・・

史料批判という名の元に、こんなに簡単に原文を書き改めて良いものだろうか。

南 邪馬壹国に至る 女王の都する所

魏志倭人伝の中に、その国名が出て来るのは、この一行だけである。
そこには、「邪馬壹国」 とある。
いったい何の為に、原文を書き改める必要があるのだろうか。

それは、「邪馬臺」 = 「ヤマト」 と読まねばならないからなのだ。

クリックすると元のサイズで表示します

 ( 魏志倭人伝 紹熙本原文 右編中央に邪馬壹国の記事が見える )

原文の改定は、これだけではない。
南を東に、陸行一月を一日に、一大国は一支国である等、何か所にも及ぶ。

これは様々な学者や研究者が、史料批判の元に自説に都合の良いように、倭人伝の改定を繰り返した結果なのである。

邪馬台国畿内説を展開する場合には方角が、また北九州説を展開する場合には距離が、倭人伝の記述とは相容れないものとなる。
しかし、そこには改定に対する明確な論証は、何処にも存在していない。

クリックすると元のサイズで表示します

 ( 吉野ヶ里遺跡 )

強引な改定によって、倭人伝の記述と事実とが、まったく合わなくなってしまった例は数多い。

邪馬台国畿内説を展開すると、邪馬台国へ至るまでの方角が合わなくなるという現象が起こる。
そこで、南は東の誤りという方角の改定が、行われるのである。

ところが、そうすると奇妙な事例が生ずるのだ。

女王国の東 海を渡ること千余里にして 復国有り 皆 倭種なり と倭人伝は記す。

もし、邪馬台国が畿内(奈良県)に存在していたとするならば、上記の倭人伝の一節は、非常におかしな事を述べている事になる。

女王国の東には、海がある・・・ ところが、畿内(奈良県)の東には山はあっても海は無い。
仮に東を南へと改定するなら、今度は南の方角には紀伊山地に行き当たって、やはり海では無いのである。

この疑問の提出に、畿内説を唱える学者や研究者は 「黙殺」 して、一言も答えてはいない。

いや、答えようがないのだ。

続く・・

1




AutoPage最新お知らせ