2016/1/12  20:36

大根葉を使って・・ そのA  


前回と言うか、去年に大根の葉っぱを使った、炒め物を紹介したのですが、今回はそのパート2で、煮物編です。

材料は、大根の葉っぱ、厚揚げ、醤油、お酒、味醂、だしの素です。

では、作ってみましょう。


@ 洗った大根の葉を用意します。

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これを、4〜5センチのざく切りにします。

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こんな感じ・・


A 厚揚げを切ります。 油抜きは、しなくてもOK。

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縦半分に切って、さらに半分に切ります。


B 鍋に切った厚揚げと、大根の葉を入れて水を加えて、火に掛けます。

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水の量は、大根の葉がひたひたになる位・・・。


C 煮立ったら、だしの素小さじ1、醤油大さじ5、お酒、味醂、各大さじ3 ( 煮汁の量によって加減すること ) を入れて、約10分位炊きます。

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D 火を止めて、器に盛って出来上がり!

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好みのお酒を添えて・・・。

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お酒は、伊賀の銘酒 ”滝自慢” の純米にごり酒です。


☆ 大根葉ですが、炊くと程々に柔らかくなるので、写真の様に長めに切っても、大丈夫ですね。

甘めにしたい方は、砂糖を小さじ1杯加えると、甘くなります。
溶き卵を入れて、卵とじにしても、美味しいです。

色々とアレンジして見ては、如何でしょうか。     (^0^)/



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2016/1/8  0:15

大坂の役  


先日の事である。 新年のご挨拶に、写真経の経祖の所に行ったら、やおらに、Oiyanさん、幸村、幸村・・ と言うのである。

幸村って、真田信繁の事ですか? と聞くと、書いてくれんかなぁ〜 と・・・。

困る・・って言うか、追々書いて見たいと思っていた記事を、催促されたのだ。

それまでも、神社の由緒シリーズとか、古代史の謎、徐福伝説とか、色々とリクエストがあって、その都度 ” 困るじゃん・・ ” と思いつつ、先送りしていたのである。  (^^;)

う〜んww、気が向いたら書きますわ〜とかわしたのだが、言い出したら聞かない人である。

だって、歴史物とか、戦記物って、時代考証とかあって、調べないといけないし、うそ書けない ( ある程度の脚色は、ありかも・・ ) し、書く方は大変なのよ。

なので、今回は大坂の役は夏の陣、真田信繁 ” 天王寺口の戦い ” の核心部分にのみ絞って、一席書いて見ようと思うのでござる。

よろしいかな、経祖殿。



西暦1600年 ( 慶長5年 ) 、天下分け目の戦いと言われた関ヶ原の合戦は、いわば豊臣家内部の勢力争いによる内紛、という見方が強い。

詳細は割愛するが、秀吉亡き後の秀頼を巡る、後見争いとも見る事が出来るのである。 結果は家康方が勝利し、秀頼の後見は、つまり家康が握ることになった。

しかし、大坂の役 ( 冬の陣 ・ 夏の陣の総称 ) は違う。

時代は、家康が江戸に幕府を開き、豊臣家はその江戸幕府に於ける一大名としての地位を、求められたのである。

豊臣家にとって、これは屈辱的な扱いであった。 秀吉は天下統一の後、朝廷より ” 関白太政大臣 ” の位を授かったのだが、これでは幕府を開くことは出来ない。

方や家康は、秀頼の後見人という立場を利用して、朝廷に取り入り、征夷大将軍として幕府を開くことが出来たのである。

当然、関白である豊臣家の反発は大きく、将軍である家康の命令なんぞ悉く無視して、言う事を聞かない。

( これは当たり前で、天下を企業と考えると、代表権のある人物が2人もいたら、意見や方針が対立して、絶対にうまく行かない。 要するに、現代に見る ” 大塚家具 ” や ” ロッテ ” の社長争いの天下版とも言えよう。 お分かりかな。 )

さて、業を煮やした家康は、力づくで豊臣を押さえつけるべく、豊臣家が方広寺に寄進した梵鐘銘に、言い掛かり ( 有名な方広寺鐘銘事件 ) をつけて兵を起し、大坂の役が勃発するのである。

慶長19年11月に始まった冬の陣では、家康の圧力に屈した豊臣家の和議の提案に家康が応じ、一旦は終結。

しかし、豊臣家が秀頼の地位の安堵と引き換えに、和議として受け入れた外堀の埋め立てや、真田丸 ( 真田の出城ともいう ) の取り壊し等が、後の夏の陣に於いて、豊臣家の滅亡へとつながるとは、知る由も無かった。


翌年、慶長20年5月5日、豊臣家に不穏の動き在りとの報を受けた家康は、再び兵を発し大坂へと進軍、大坂城を南から取り囲むように布陣、ここに夏の陣が起るのである。

兵力は、家康に従う直参大名や旗本など、幕府軍約15万に対し、迎え撃つ豊臣家大坂方は、秀吉恩顧の大名や浪人衆など約5万5千の兵力であった。

それまでに大坂へ進軍する幕府軍に対し、八尾 ・ 岩田や河内道明寺に於いて、緒戦が開かれたのだが、これらの戦記については、割愛させて頂きたい。

さて、この大坂の役に登場するのが、戦国一の武将と謳われた真田信繁 ( 幸村 ) である。

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 真田信繁 像


冬の陣の後、外堀を埋められ、真田丸を取り壊された大坂城は、もはや裸城同然であった。

敗色濃厚な豊臣方に、真田信繁は籠城戦をあきらめ、城外は天王寺口の茶臼山に陣を敷き、幕府軍と対峙するのである。

慶長20年5月7日の正午過ぎ、物見に出ていた幕府方先鋒、本多忠朝の部隊に向かって、先走る毛利勝永の兵が発砲、これを合図に事態は急変、一気に開戦へと戦端は開いた。

開戦の報を聞いた信繁は、陣中の兵に向かって 「 今は快く戦うべし、狙うはただ一つ、家康の首のみぞ! 」 と激を飛ばし出陣、対峙する幕府方先鋒、松平忠直隊 ( 15000余 ) に立ち向かうのである。


信繁率いる真田隊は、僅かに3500余り、兵はすべて朱色の赤備え、一目で真田隊と分かる出で立ちであった。

信繁は兵を、先鋒、次鋒、本陣と数段に分け、鉄砲隊の一斉射撃、長柄槍部隊の突撃、騎馬隊の突入と波状攻撃を繰り返し、忠直隊と激しく交戦。

一方の毛利隊は、銃撃した本多忠朝隊を猛攻、忠朝の首を討ち取り、これを壊滅、続く明石全登、福島正則の両隊も奮戦、天王寺口は、瞬く間に激戦となった。

攻め掛ける真田隊の猛攻は凄まじく、毛利隊の挟撃もあって、松平忠直隊は忽ち壊乱状態に陥るのである。

幕府方二番手の、榊原康勝他5400余りの陣中も、先鋒である本多隊や忠直隊から、雪崩の様に逃げ込んでくる敗兵によって大混乱となり、折しも豊臣方内通者による ” 紀州様 ( 浅野長晟 ) 裏切り! ” の虚報に、陣中は動揺。

この虚を衝いて、信繁は忠直隊を突破、毛利隊の援護を受けつつ、二番手の榊原・仙石隊に襲い掛かり、これを撃破、続く三番手の酒井宗次他5300余りの陣に猛攻、陣中は逃げ惑う敗兵で壊乱し、家康本陣は丸出しの状態となる。

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 真田信繁 像  安居神社境内


この機に信繁は、家康本陣に手勢を率いて三度、突撃を敢行、馬印を引き倒し家康を探すも、一足早く家康は難を逃れ、無念にも思いを達することは、出来なかったのである。


しかし、いかに勇猛な真田隊も、再度に亘る突撃や攻撃に疲弊し、兵を失い、やがて体制を立て直した幕府軍によって追撃を受け、壊滅に追い込まれて行くのである。

度重なる戦闘に傷つき、疲労困憊した信繁は、壊滅寸前、四天王寺近く、安居神社に休んでいる所を、追撃してきた忠直隊、鉄砲組頭 ” 西尾宗次 ” により発見され、「 もはやこれまで、この首を討ち取り、そなたの手柄にされよ 」 と最後の言葉を残し、討死。

戦国の世に咲いた、真紅の躑躅の様な生涯であった。

享年 49才。


信繁様、討死の一報が伝わると、豊臣方は総崩れとなり、大坂城内へと敗走、しかし裸城同然の大坂城は、殺到する幕府軍に対し、何の防御も無しえなかったのである。

真田隊と激戦を戦った松平忠直隊が、一番乗りを果たすと、続々と幕府軍が城内に乱入。

夕刻、幕府方内通者によって天守に火が放たれ、大坂城は落城、救出された秀頼の正室 ” 千姫 ” の助命嘆願も叶わず、秀頼と淀君は籾蔵にて自害、ここに豊臣家は滅亡するのである。


なぜ信繁は、敗色濃厚な豊臣家に、最後まで仕えたのだろうか。

一説に、父である真田昌幸が、上田6万5千石の大名となる過程に於いて、秀吉の多大な支援を受けていたため恩顧が生じ、子の信繁もその意志を継いで、最後まで豊臣方に出仕したと言われるが、真偽は分からない。

あるいは、関ヶ原の役に於いて、西軍に就いたが為に、家康によって改易され、親子共々高野山へと配流された昌幸の怨念が、子である信繁にも影響を与え、最後まで豊臣家への忠誠心となった感は、否めないと思う。

ただ、今一つ言える事は、信繁は豊臣家の家臣として、最後まで豊臣の為に戦い、討死した。

その事実だけである。


最後に、信繁の武勇を伝える書物は、数多く残されているが、その中の一つ、有名な 「 翁草 」 の一節を引用して、幕を下ろしたいと思う。

長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。


「 真田、千載人口に残る奇策幾千百ぞや。 

そもそも信州以来、徳川に敵する事数回、一度も不覚の名を得ず、徳川の毒虫なりと世に沙汰せり、当世の英雄真田を非ずして誰ぞや。 

絶等離倫、一世の人物、今にいたりて女も童もその名を聞きて、その美を知る。 」


 完




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2016/1/2  15:20

簡単に お雑煮  


新年、初回は ”お雑煮” です。

お正月は、各地で特色あるお雑煮を頂く事も多いと思いますが、今回はシンプルに電子レンジを使って、すまし仕立てのお雑煮を作って見ました。

材料は、雑煮用の小ぶりの大根、同じく人参、ホウレンソウ ( 今回は白菜を使った )、お餅 ( 切り餅でもOK )、麺つゆ ( ストレート用 )、だしの素少々、です。


@ 大根、人参は皮をむき、薄めの輪切り、白菜は葉先の柔らかい所をざく切りにします。

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それぞれをラップで包んで、電子レンジにかけます。

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500Wのレンジで、大根、人参は約1分20秒、白菜は、約40秒位でOK。

それぞれ熱い内にラップを外し、冷水に放しておく。


A お餅をオーブントースターで、焼きます。

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こんな感じ。

すまし汁を作ります。 器に、麺つゆ大さじ4〜5杯、だしの素小さじ1/4杯を加え、熱湯を入れて好みの濃さに仕上げます。 ( あらかじめ、器を温めておくと尚良し )


B 仕上げたすまし汁にお餅を入れ、キッチンペーパーで水気を取った白菜、大根、人参を加えて、出来上がり。

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如何でしょうか。 ( 器は ”丹波焼” の汁椀です )


☆ 野菜は電子レンジで加熱したので、若干、野菜臭さがあります。 苦手な方は、やはり鍋で作ったすまし汁に入れて加熱し、仕上げましょう。

今回は、ホウレンソウの代わりに、白菜を使いましたが、もちろんホウレンソウでも、やり方は同じです。

一人前なので、これでよろしいかと・・・。 チャンチャン。   d(^^;)




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2016/1/1  0:15

謹賀新年  


新年 明けまして おめでとうございます。


 ” なかきよの とおのねふりのみなめさめ なみのりふねの おとのよきかな ” 

( 回文歌です 分かるかな〜 )


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今年も、どんぞよろしく!  By Oiyan




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