2016/5/30  23:45

末法と平等院  


今日は、料理の記事はお休み。 少々、興味深いお話を一席・・・ です。

さて、今月の連休明け、世間のお祭り騒ぎが収まった頃を見計らって、Oiyanも参加する、恒例の大日本写真経の、写真修業が行われたのである。

場所は、京都の宇治、世界遺産に登録された、平等院である。

この平等院、時の権力者であった ”関白 藤原頼通” によって、父である藤原道長の別荘を改装して、建立された寺院なのだ。

当日の写真修業の様子は、ちょっと横に置いておいて、今回は平等院とその背景にある、末法思想について、簡単に掻い摘んで、書いてみようと思うのである。

では、よろしいかな。


初めに、末法思想とは、「 釈迦の説いた正しい教えが、世で行われ、それを修業して悟る人が居る時代 ( これを正法という ) が過ぎると、次に正しい教えが行われても、外見だけを修行者に偽て、悟る人が居なくなる時代 ( 像法という ) が来て、さらにその次には、人も世も悟る人がすべて居なくなり、魔道が行われ、正法が行われなくなる時代 ( 末法という ) が来る 」 とする、思観の事である。

端的に言うと、正しい教えや正義は次第に衰え、やがて無法や悪事が蔓延り、現世は滅びるとする、歴史観なのだ。

平等院が建立された平安中期 ( 西暦1052年 ) は、世俗一般に末法元年の世として恐れられ、貴族は経文や経塚造営、阿弥陀堂の建立を、盛んに行っていたのである。

この時代は、藤原氏を頂点とする貴族の ”摂関政治” が衰え始め、天皇が出家して院政へと向かう時期で、次第に朝廷や貴族の警護役であった武士が、力をつけて台頭しつつあった。

また、各地での騒乱や天変地異、治安の乱れも激しく、民衆の不安は増大し、その拠り所とされた仏教も、天台宗を始めとする諸寺の腐敗や、僧兵の出現によって、退廃していったのである。

( 時代は繰り上がるが、織田信長に謂う ”仏僧が刀を持ち、酒を喰らい、女を抱き、金を貪り集める、これが御仏に仕える者のすることか!” と激怒し、比叡山延暦寺を焼き討ちした事実は有名 )

こうした現実社会の不安の中で、末法濁世の衆生は、阿弥陀仏の本願力よって救済される、とする称名念仏の教えが、広まって行くのである。

つまりは、朝夕に南無阿弥陀仏と唱え、死後は夕日の沈む西方浄土に、極楽を求めるとする考え方である。 ( 彼岸浄土とも言う )

クリックすると元のサイズで表示します

 ( 平等院 鳳凰堂 )


その考えに基づいて建立されたのが、この平等院鳳凰堂 ( 阿弥陀堂 ) なのだ。

鳳凰堂は、東西の方位線に交わる形で、ほぼ正確に建てられていて、年2回の彼岸の中日に、東の空に朝日が昇ると、堂内の阿弥陀如来を、金色に照らし出すように建てられている。

また、日が西に傾くと、鳳凰堂は赤く染まる夕焼けに映し出され、あたかも極楽浄土に存在する、阿弥陀堂の様に現出されるのである。

関白 藤原頼通は、末法と西方浄土の思想に深く傾倒していたが為に、平等院鳳凰堂をこの様に意識的に設計し、造らせたのである。

「 彼岸の中日、生前に道徳を積み、天寿を全うしてこの世を去る人は、金色に輝く阿弥陀如来が、大勢の菩薩を引き連れて、あたかも天を巡る懸け橋のように、亡者を西方の極楽浄土へと導いてくれる 」 と、西方浄土の教えは説く。

これを、彼岸の来迎、または、九品(くぼん)の来迎、と呼んでいるのである。

九品とは、極楽浄土を 上品・中品・下品 の3つに分け、それぞれに 上・中・下 と3箇所づつ、計9つの極楽が在り、亡者の生前の道徳の積み方によって、成仏できる極楽が決まるとされる考えの事で、道徳よりも悪事が大きいと、もちろん地獄に落ちるのである。

クリックすると元のサイズで表示します

 ( 西行法師 像 )


” 願わくば 花の下にて春死なん この如月の望月の頃 ” と詠った後の西行法師は、この彼岸の来迎を夢見て、望んでいたのかも知れない。


 余録  藤原道長について

関白 藤原頼通の父、摂政・太政大臣にあった道長が、糖尿病を患っていたと知る人は少ないと思う。

道長の事を記した日記 ( 少右記 や自身の 御堂関白記 ) に、晩年の道長の病状が書かれていて、それが分かるのである。

日記に、晩年の道長は、色は浅黒く痩せこけて、人と会って話をする時には、手桶に汲んだ水を飲みながら話をしたとある。

また、道長の邸宅に招かれて往った折、厠 ( かわや、トイレですな ) に行くと、肥溜め ( 昔は水洗なんて無いので、すべて汲み取りである ) の周りに、蟻が一杯に群がっているのを見た、という記事も見える。 ( これは、尿に糖が出ている証拠 )

また、病状が悪化して、叫病 ( きょうびょう ) になったともある。

叫病というのは、道長が話をしていると突然、胸を押さえて ”ウヮ〜〜ww” と低く唸るように叫び、卒倒するのである。 ( これは、糖尿病の神経障害の1つ、心臓神経症と思われる )

さらに亡くなる少し前には、目が見えなくなったと記されているが、これは糖尿病による網膜症か、眼底出血であろうと、考えられているのだ。

クリックすると元のサイズで表示します

 ( 藤原道長 像 紫式部日記より )


当時、糖尿病は ”飲水病” と呼ばれ、もちろんインシュリンなんて無いので、不治で死の病であった。

現代でも、遺伝性を除いて、食べ過ぎ・飲み過ぎ・肥満・運動不足 といった生活習慣が続くと、発症しやすくなる生活習慣病の1つであり、一旦発症すると、今も昔も不治の病気であることに、変わりは無いのである。

そして飽食の現代、糖尿病とその予備軍の合計は、2010年の調査で何と約2050万人、5人に1人が該当するのである。

最後に、この余録を読まれた皆様、他人事とは思わず、生活習慣に注意を払って、糖尿病の発症を予防しましょう。

発症してからでは、遅いのですぞ〜。  (;^^)b


さて、今回も長々とお付き合いを頂き、ありがとうございました。

今日は、ここまで。 でわ、また。



0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ