諸々がままならない状況で
私はわりと元気に過ごしており
2021年は
お芝居を始めて20周年という節目となりました

20年目の一人芝居を
You Tubeにて配信しております

「言葉を纏ふ」〜纏の三 太宰治『斜陽』〜

いつか舞台で上演出来る事を願って


2012/1/5

わたしのもくひょう  通り過ぎた日々

去年は
「なるべく目標を立てよう」
を目標にしてみた


「なるべく早めにやろう」
と思った事は
結構いつまで経ってもやらない

「なるべくたくさんやろう」
と思った事は
月に一回くらいやれば良い方だったりする


前者は
良い事があった友人へのお祝いだったり
いつでも良いよと言われた仕事だったり

後者は
なかなか会う機会のない友人との会合だったり
それこそブログの更新や
更にTwitterやらmixiやらFacebookやら
コミュニケーションツールの活用だったりする


いくらなんでも
それじゃダメだろう
三十過ぎて
それじゃ日々が薄くなりすぎる


恐怖を感じて
始めたのが
目標の設定だった

今年中に、今月中に、今週中に、と
とりあえずどんなに簡単な事でもいいから
目標を手帳に書いていった


年間目標は
「本を100冊読む!(ジャンクでない本は月に2冊以上!)」
「月に一度は着物を着る!」
とか

週の目標では
「トイレ掃除」「DM発送」「インフルエンザ予防接種」
果ては
「キン肉マンを調べる」なんてのもあった

こんな簡単な事柄でも
目標として立てなければ
いつの間にか「まぁいいか」で過ぎてしまった事だろう


ダメ人間一直線に
ブレーキをかけよう

ちゃんとした人と友達になれるように
ちゃんとした人になろう

なので
今年も目標を設定
「ブログの更新は一週間に一回以上!」


その一歩目
2012年の始まり
今年もどうぞよろしくお願いします
1

2011/12/2

来年の目標  通り過ぎた日々

来年の目標は

一週間に一更新!

感動した事や
考えた事を
文字にするのは
きっと悪くない習慣だと思う

・・・と
前から思いつつ
ついつい
月毎に
さらには
隔月に


いかんいかん
せっかくブログがあるのなら


来年こそは
来年こそは


今年は
年間100冊の本を読む、という目標を
達成できた私じゃないか


来年こそは
来年こそは
1

2011/6/2

ギザギザハートは子守唄を唄えるのか  通り過ぎた日々

職場等で意見がぶつかるとき
私は当然
私の意見の正当性を訴える

なるべく誤解のないように
私なりに言葉を尽くしたつもりだが

そうすると

「それはそうなんですけどね」と
その相手の意見の正当性が返ってくる

かと思ったら

私の意見の言い方が良くないというような
批判と言うか非難と言うか
そういうものが返ってきた

ということが
往々にしてある


またか


そうするともうその相手とは議論は出来ない

すみません確かに言い方が悪かったですね気を付けます

折れたフリをしてやれば
相手は満足するらしい
バカバカしい


結局何の話をしてたんだ
私の意見に対する相手の見解も何も
私は聞いていない
時間をかけて話し合って最終的な結論は
私の言い方や態度が悪い、か
「ご意見を聞かせて下さい」と言われたところで
意見を言う気にはもうならないだろう


きっと
相手が例え理不尽な意見を言ったところで
ちゃんと相手に届く言い方を選ぶことが
大人の意見の出し方なのだろう

それが出来ない私が悪いのも確かだ
けれど

私の意見の言い方を批判した上で
私の意見の内容について
なんで何も言ってくれないんだ

内容については納得したのか
言い方が気になって内容は何も聞いてなかったのか

論点をずらした事に気付いていないのか
なんでそれで
私の方だけが「大人げない」ような言われ方をするのか

まったく論点が違うところで反論する手法なんて
子供のケンカと同じじゃないか


わかってくれとは言わないが
そんなにオレが悪いのか
1

2010/4/19

もしも私が平穏を望んだら  通り過ぎた日々

辛いことはなるべく
避けて通りたい

見たくないものは
見ないままでいたい

そうやって
生きていくことが出来るなら
私はその人生を選ぶだろうか



怒りも淋しさも
感じずにいられたら

誰も呪わず
誰も恨まず
誰にも憎まれず
誰にも嫌われず

何を捨てることもなく
何を失くすこともなく

そんなふうにいられたら

私はそれでも
何かを表現したいと思うんだろうか
2

2010/2/17

左側の数字  通り過ぎた日々

いわゆる十の位の数字が更新され
私は三十代になった


多くの年上に「ようこそ」と言われる
三十路ワールド

多くの年上に
三十過ぎると色々とラクだぜと言われ続け
(ちなみに四十を過ぎるともっとラクらしい)
いま三十歳になったところで
その「ラク」という感覚はまだない


まだ考えることはある
例えば人生の中に出産というイベントを盛り込もうとするならば
そろそろ具体化しなければ
手遅れにもなりかねない
そんな歳なわけだ

「今度」「そのうち」「いつか」

何にでも
その言葉を使えるのは
若い、というより
幼いうちだけなんだ


夏休みの宿題も
提出日があるからやるんだよな

タイムリミットがない状態で
それでもやるべき事をやるのは
怠け者には難しい


タイムリミットが意識出来るから
ラクになるのか
タイムリミットがある意味なくなるから
ラクになるのか


三十路ワールドの住人は
悩むことがなくなるわけではなくて
何をどう悩めばいいかが
はっきりしてくるからラクになるのか


私は新参者なりに
目を向けるなり
目を逸らすなり
方向性が決まって
ラクになる瞬間があるのかしら


0

2010/1/2

たかが一月一日  通り過ぎた日々

世間の慣わしに従い
正月の挨拶をする
明けましておめでとうございますと
今年もよろしくお願いしますと
正月らしい時間を過ごす


区切りをつけやすい日付だからと
ここぞとばかりに
一年を振り返り
一年を始める


時間は
日付と関係なく
無機質に流れている

私は
有機的に時間を止めようとし
混乱し続ける


問答無用で
一年が過ぎた


一年前の正月
考えもしなかった状態で
今年の正月を迎え
きっとまた
今は考えもしない状態で
一年後の正月を迎えるんだろう


私が「いま」と呼ぶことをやめても
私が「ここ」に居ることに変わりはないことに
絶望する今は
何処まで続くのか


ともあれ
時間の概念に支配されて
また一年を過ごしていく
1

2009/12/8

怖いものは最初から消えてしまえ  通り過ぎた日々

ずっと
私の事を
忘れないで覚えてて欲しいと
思う人は
居ない

忘れられたら
忘れられたで
構わない


関係に執着する割りに
考えることは
わりかし淡白で


忘れられるのは
嫌だなぁと思うのは
強いて言えば
親くらいか


と思っていたけれど
最近ちょっとだけ
覚えてて欲しいと思うことがある


忘れないで欲しいと思うことがある


それは
実は

ものすごく怖いことだった
0

2009/11/28

痛い話  通り過ぎた日々

人差し指と親指の間を
割れたコップの破片でざっくり切っただの
どこかの一歳児が
浴槽に頭を打ちつけられて死んだだの

痛い話を聞くのは苦手で

スポーツ選手の負傷する映像も
ものすごく嫌で

映画で登場人物が怪我をするシーンすら
正視に堪え難い


なんだったら
痛みの無い世界になればいいと思う

そうなったら
人間なんか地球上に一人も居なくなるかもしれない

それならそれで
意外と構わないから

なるべくなら誰も
痛い顔をしないで
生きるなり死ぬなり
して欲しいと思う
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