諸々がままならない状況で
私はわりと元気に過ごしており
2021年は
お芝居を始めて20周年という節目となりました

20年目の一人芝居を
You Tubeにて配信しております

「言葉を纏ふ」〜纏の三 太宰治『斜陽』〜

いつか舞台で上演出来る事を願って


2009/11/24

4足目の草鞋  通り過ぎた日々

近所のコンビニに
アルバイトの面接に行く

コンビニは
一度経験しているので
あまり気負いが無い

これが通れば
4足目の草鞋

ここにきて
今までに無い草鞋数に挑戦

不景気だ不景気だというけれど
やっぱり不景気なんだな
と思う


何が一番辛い事だろう
お金がなくなる事だろうか
時間がなくなる事だろうか
余裕がなくなる事だろうか
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2009/11/8

一人で健康体  通り過ぎた日々

人間は
一人で生れて
一人で死んでいく
色んな人が言うくらいだから
当たり前の事なんだろう


私は間違いなく一人で
多くの一人がたくさん周りに居る


その一人と一人の間に
「関係」とか「距離」があって
時間とともに
諸々のきっかけがあって
変わっていく


その
変わる事がイヤなのか
変わって
どうにかなる事がイヤなのか


イヤだイヤだと言いながら
今ここに一人が居る事が
嬉しくて嬉しくて

有難くて有難くて仕方ないので
やっぱり一人でしかない事が
イヤでイヤで


良いんだか悪いんだか
私は今日も
そこそこ健康体
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2009/11/6

私の世界の新種  通り過ぎた日々

性別は
男と女
の二種類とされているけれども

私は
男と女と宝塚
の三種類だと思っている


私の基準だの分類だのは
私が決めるものなのだ


そうしたところで
新種発見


ヒトは
人間
の一種類だと思いきや

実は
人間と負け犬
の二種類だったのだ


そうか
今まで同種として見られなかったヤツは
人間じゃなくて
負け犬って種類だったのだ


基本的に偏見や差別は
あまり自覚しない私でも
負け犬については
差別も区別もするので
負け犬とはマトモな会話が出来ない


男が女になることも
女が宝塚になることもある

人間が負け犬になることがある

あまり見た事はないけれど
負け犬が人間になることも
まぁあるだろう


知るもんか
知るもんか

背を向ける前には
もう戻れないんだぞ



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2009/11/3

ブログ更新頻度による自己解析  通り過ぎた日々

決して定期的ではないにしろ
こうしてブログというものがあって
それを管理している限りは
私は「ブロガー」ということになるんだろう

ブロガーを
まず「風呂がー」と変換するこのPCは
最近では
日に一度ほど起動する


ブログに掲載するような記事は
結構いつでも書ける
自分の文体を気に入りだした今では
自分の書いた文章を人に読まれる事は
結構スキだ


しかし
ブログの更新となると
元気な時にしか出来ない
という事に
最近気が付いた


もちろん
元気な時にはブログを更新したくなる
というわけでもないので
更新が無い事からと言って元気が無い
というわけでもない


そもそも
何故個人HPだのブログだのを作ったのかと言えば
ブログを作成することで
他人とも過去の自分とも繋がりやすくなるとか
そんな理由だったと思う
きっと
世のブロガーさんにも
同じ理由の人がまぁ何割かは居るだろう



繋がりを求めるが故に
ネットワークを利用する

反面
ふとした時に
繋がりそのものを嫌悪する事がある
繋がりを拒絶するのならば
ネットワークは邪魔でしかない

しかし
私が人間である限り
繋がりを拒絶したまま
生きる事は色んな意味で困難であると
私は思い込んでいる

故に
私が生きようとするならば
ネットワークは有効な手段であると
認めざるを得ない

そして
何とか繋がりを維持する動機を
思い出すなり信じ込むなりするために
ブログ更新ページにて
文章を書き始める


私がブログを更新するのは
元気な時か
元気になる為に足掻いている時の
どちらかだ


ブログ横のカレンダーに
その頻度の低さを見る

単なるものぐさの為に更新していない時も
むしろそっちの方が多い位にあるので
だからと言って何かが良くないとは言えないけれども

前向きな姿勢を取っているという証拠が少ないのも
ちょっと淋しいので
もう少し更新頻度を
上げてみようかと思った


0

2009/10/3

欽ちゃんが言うなら  通り過ぎた日々

オリンピック開催地を東京に
という願望は
崩れたらしい

という
鳩山内閣が発足したことすら
数日遅れで知る私の
珍しい時事ネタ


どうせ観に行く事が出来ないのなら
時差のある国で開催してもらって
深夜時間帯にテレビで見る方がイイ
という考えの下に
東京へのオリンピック招致に関しては
あまり賛同しなかったが

欽ちゃんに
「東京でやりましょうよ」と
言われてしまっては
じゃあ東京でやればイイじゃん!と
思わざるを得なかった


まぁ、残念でした


とは言え
選手の方々が
安全に本懐を遂げられるのであれば
どこでもいいやと思う

選手の方々は
どこででも全力を尽くすだろう

アマチュアの祭典と言っても
そういうとこは
プロフェッショナル


もーしーもー
「精神がアマチュア」の祭典だったら
鬱陶しいだろうなー
みんなめっちゃ言い訳とかしてんの
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2009/9/11

息づいた荒野には名前があるのだよ  通り過ぎた日々

存在を認識するものがなければ
その存在は無いのと同じ事だ

存在は認識される事で
成り立っている

では
「存在を認識されている」と認識する根拠は
一体何処に存在するのか


私の存在は
他者の認識により
成り立っている

しかし私は
「本当に他者が私を認識している」という認識に
根拠を持つ事は出来ない

信じる他はない


疑いがあるから
信じる他がない


信じるという事は
疑いがあるという事と同義だ


改めて疑い始めるという手間を惜しむ事に
何か弊害があるだろうか


簡単な事だ
蓋をまた閉じればいい

それでも
蓋を開ける前に
戻る事は出来ない


世界が静かに激動する
1

2009/9/7

「大人」になりましょう  通り過ぎた日々

ちゃんと話すのは20年振りくらい
という友人も含め
中学時代の友人と会合

誕生日が過ぎたら
もう30代の仲間入り
堂々と「子供」と名乗れた時代の友人が
完全な「大人」になっていた



本当に我々は
急に29歳になったわけではなく
それまでにそれなりに
時間を生きたのだという事を


大体30年
私は29年と数ヶ月の間に

思い出したくない程
恥かしい記憶や
立ち上がれなくなる程
落ち込んだ記憶や

二度と謝る事はないけど
本当に申し訳ないと思った事や
改めて御礼を言う事はきっとないけど
言い様のない感謝をしている事や


何処か何時か何かの拍子に
思い出したり気づいたりして
人格を形成しながら
えっちらおっちら
「大人」になったんだろう


どう頑張っても
もう会えない友人も居る
少し頑張れば
また会える友人がたくさん居る事を

またこういう拍子に思い出して
これからも
「大人」になっていこうかなんて

とても楽しい事を
考えた


2

2009/7/27

母なる海は強かった  通り過ぎた日々

現在関わらせて戴いている映画の撮影で
海に行く事になった前日
ふと
一昨年の7月末
ちょうどこの時期
静岡の海にて亡くなった
友人を想った


私が行くのは
茨城か千葉かどっちかよくわからない辺りの
なんとなく「房総」という
日本列島で軽く出っ張ってる辺り


天気が良く雲が流れ
雨は降らず風が強い
例えどんな天候でも決行する、という覚悟の前には
なかなか優しいコンディション


腰まで浸かって踏ん張ってみる
意外と水は冷たかった
見たまんま波が強かった

タックルだ!と言わんばかりに押し寄せて
足元の砂ごと持って行かんばかりに引いていく

カメラを持って私の周りを驚くべき安定感で歩き回る人を
漠然と尊敬しながら
こんなに波打ってるのに水平線はまっすぐなんだなァ
なんて思ってた


この次はこの海に潜る
見たこともない機材の準備をするぷろへっしょなるな仕事を
横目に見つつ
一応は
死ぬかもしれないなァと考えておいた

当たり前の様に遊泳禁止の海
一昨年に彼女を飲み込んだ太平洋

この程度の水温では心臓麻痺はないだろうが
海から上がって来られないって事は
あるかも知れないなァ

がぼがぼっとね
てれれれってれ

このまま私が海に引き込まれたら
半分以上撮影を終えているらしいこの映画は
ちゃんと上映されるんだろうか
ってゆーか
監督達は今日中に帰れるんだろうか

私の不注意や油断で
誰かが後悔したり責任を感じたりするのは
あんまり好ましくないよなァ


とりあえず
撮影が終わって無事に風呂にでも入った時の自分を
懸命にイメージしてみた


海は強い
じっとしていられない
重石として用意した砂入りペットボトル(推定6kg)もすぐにさらわれた
あんまり動いてないつもりでも
数秒後には数メートル流されて
どうやらフレームアウトしたらしい


海は強かった
そして塩辛かった
無事に終わった時には
監督や撮影師さん制作さんを始め
見沢さんや亡くなった友人やご先祖様方
眼に見える力と見えない力に
感謝した


お蔭様で全員無事生還
帰りに立ち寄った風呂屋で
イメージした通りの
生きた心地を味わった
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