
豊臣秀吉というと誰もがしってる天下統一の武将、しかしその実弟の秀長の事はほとんど知られていない。大和・紀伊・和泉に河内の一部を加えた百十万石の大大名でありながら歴史の表舞台に立たず陰から秀吉を支えていた。
http://homepage1.nifty.com/SEISYO/hidenaga.htm
私がこの人を知ったのは堺屋太一著「
豊臣秀長 ある補佐役の生涯」を読んでからの事。この秀長が若山城(
和歌山城)から移ってきたのが奈良県大和郡山にある大和郡山城。
という事で前置きが長くなりましたがいざ大和郡山城へ。

実はこの大和郡山城には今まで来た事がなかった。今年秋篠川を漕いだ時に地図を調べていてすぐ先がこのお城だと気が付き、前々から秀長にも興味があったので一度いってみたいと思っていた。
なんとここはお城の中に高校がある。そして南側が郡山高校冠山学舎、西側が郡山高校城内学舎となっている。

(艇を置いて記念撮影、ただの記念撮影です。西側の城内学舎側)
ここに筒井順慶が、豊臣秀長がそして家老として藤堂高虎が、おまけに五奉行の増田長盛が。う-ん、いろいろ考えてしまう。元々歴史ファンなのにお城はあまり回らなかったからこうやって訪れるのもいいものだ。

(水辺でダッキーの組み立て練習・・・南側の冠山学舎)
ちなみに前述の「豊臣秀長 ある補佐役の生涯」は考えさせられました。機会があればご一読をお勧めします! 「虎の城 上・下」火坂雅志 もいいですよ。
*歴史好きな私は1人で盛り上がってたんですが周りには受けませんでした。ちょっぴり悲しい・・奈良県は大きな戦乱があまりないんですね。有名なのは信貴山城の松永弾正、東大寺を焼いたのでも知られています。ちなみに東大寺は平重衡もですね。ちなみにこの話題もK氏以外反応なし、寂しい。

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