
私の繋げる旅の中で、分水嶺(分水界)を越えて海から海に行く内陸部の川の旅、その中で特に印象深いのが最初の分水嶺越えの太平洋〜伊勢湾(紀の川ー高見川ー高見峠徒歩ー櫛田川)、そして日本海〜瀬戸内海(加古川ー中央分水界徒歩ー竹田川ー土師川ー由良川)だ。
最初の分水嶺越えはやはり最初というだけで印象深いのだが、日本海ー瀬戸内海は途中何度も入退院を乗り越えてなのでどうしても思い入れも深くなる!

そもそもこのルートを行こうと思ったのは
「邪馬台国と鉄の道」という本を読んだのがきっかけ。
私が注目したのは、日本海から鉄器を運んで来た時には舞鶴から由良川ー福知山経由で春日まで運び、その先の氷上から加古川で瀬戸内海、そして大阪湾から大和朝廷に運んだという所。
それまでそんなルートは考えもしなかったのだが、それを読んで自分でカヤックで漕いでいってみたいと思うようになる。
そして2012年6月に分水界である石生の水分け資料館まで来て気持ち新たにした。

しかし2012年は行けずで翌2013年は4月に癌告知、延々と10月まで出たり入ったり。
そしてようやく2014年6月に分水界の
石生と由良川水系方面の市島駅への徒歩からスタートした。
そして続いて市島〜丹波竹田、丹波竹田〜福知山、翌2015年5月に福知山〜丹後由良(日本海)とまずは由良川水系を完了する。

(6年振りに資料館に入りました!)
一方瀬戸内海方面は2015年6月に
石生〜船町口でスタート。
このまま一気にと思うも癌再発転移により再び同年8月に入院、10月3日まで病院で過ごす。
その後は店を畳んで翌2016年1月からの再入院が決まっていたので、なんとか加古川水系を終わらすべく挑む。
特に3mの滝の
闘龍灘は退院わずか2週間でNMさんのサポートのもとダッキーで跳びにいく。
その後2回加古川に行き、
なんとか11月に海まで繋ぐ事が出来た。
ちなみにサポートしてもらいタンデムで行かせてもらった闘龍灘も昨年(2017年)9月に
ソロ漕ぎで攻略、
ちょっとしたこだわりでした!

改めて
水分け資料館に入館して説明を聞く。
やはり一度漕いでからなのでとてもよくわかる。
そらフィールドワークにまさる説明はないですからね。
身体が高低差を距離を感じて来た。

何度も癌治療で中断しながらも諦めず繋げた日本海〜石生〜瀬戸内海。
今また入退院してる時にこうやって石生を訪れてその時の気持ちを思い出す。
来て良かった。
そして改めて漕いで繋げれて良かったです。

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