フロッピーを整理していたら、雑誌「NALU No.69」取材の時、写したものが出てきて、懐かしいなーと。
月日が流れるのは実に早いもので、早々5年が過ぎようとしている。
この時の取材には最初から同行していたので、自分事ではないのだけど、よく覚えている。
そのため、この写真を「メモリアル・フォト」の中に収め、サーフィン人生の思い出として記載しておく。
この時は、伊良湖〜名古屋を行ったり来たり。「尾張名古屋は城でもつ」となり、
名古屋城をバックに写真を撮りましょう!と。まずは、管理事務所へ許可を取りに、NALUの編集長が行くと、
担当者の方が、公共の場だから駄目となり…どうしよう?いや、ちょっと待ってよ、せっかく来たのだから、今度は私も行って説明する。その担当者に、この雑誌は全国誌、
これを見て、名古屋城に行きたくなればPRにもなるし、市長もきっと望んでいると思う。我々も県民であり、市県民税を納めている「市民の頼み、よろしくお願いしますよ」
と、色々交渉の結果、頭の堅い担当者も、他のお客さんの迷惑にならないようにと、OKの許可がおり、駐車場に待たせてあるみんなと、ロングボードを運びながら城内へ。
撮影している時、観光客の方々が集まって来て、どこの芸能人などと、人だかりになり、
「こうこうと説明」…無事に撮影も終わり、その足で伊良湖へ戻り、宿泊先へ。
サーフボードを持って、海をバックの写真は沢山あるが、名古屋城をバックの写真は、きっと
これが最初で最後だと思う!翌日、赤羽根の波は、膝〜もも、1月の波はしょうがない。日程の関係があるため、撮影に入る事に。波は小さかったけれども、
面がキレイだったのが良かった。この時、紹介された那須憲治君、まだアマチュアで、
この本の中の文章で、プロ合格宣言をして、大丈夫かな?幸いな事に、この年の秋のプロトライアルでプロ資格を取り、有言実行で良かった!この時、那須君は二人の子持ち、
その後、一人娘さんが生まれ、三人のパパとなり、現在も漁師をしながら、赤羽根で波乗りにいそしんでいる。
この年、プロ二年目の森智史君は、ちょうど
レストランバー「アコラ」でスタッフとして働きながら、プロ活動をしている頃で、
現在は、スポーツクラブで知り合った愛妻と結婚し、豊川氏に在住。仕事も変わり、アイレックス・スポーツクラブ田原で、インストラクターをしながら海に通っている!
三宅さんは、40代でサーフィンを始めて、この時はちょうど3年目位の時。
某会社の社長さんで、それなりに体重があったのですが、サーフィンのおかげか、
現在は、かなりシェイプアップされ、きっと動きも良くなり、仕事の合間をぬって海に通って見えて、そろそろハングテンを決めている頃だと思います☆
佐藤めぐみさんは、この年、私と再婚し、その後、タヒチアンダンスにはまり、
インストラクターをしながら海に通い、昔のような回数は減りましたが、
暇を見つけて、波とたわむれていました。
現在は、念願が叶い、昨年、名駅2丁目にポリネシアンダンススタジオ「ティアオロ」をオープン!先生をしながらのサーフィンです。
TEL:090-3250-3230 Mail:tiaoro_nagoya_2013@docomo.ne.jp
P.S.
昔から、10年一昔といい、現代は、日々の時間が早く過ぎるので、5年一昔かも知れません。
あなた様も、5年間を一度、振り返って見て下さい。諸行無常です。
諸行とは、世の中の一切の現象・万物をいい、無常とは、これらの現象・万物は常に変化し、何ひとつ常住不在なものはない、という意味です。
だから、人の身も、世の中も、草木、国も、一切のものが生滅し、変化し、無常であることだけが不変であり、常住で、これが「諸行無常」です。
諸行無常の文句で、最も有名なのは「平家物語」の冒頭。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す
というくだり・・・月日が流れるのは、なんと早いことだろう。
さて、5年先は、どうなっているんだろうか?? MAHALO yoshi

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