私が、孫を持って、思う事。あの震災。
原発事故から、4ヶ月以上が過ぎ、迷走状態を続けています。
外部被爆、内部被爆、○○シーベルト、セシウムなど、私達が、今まで生活してきた中で、全く耳にしなかった言葉が、毎日のように報道されています。
TV番組のニュース・ステーションでは、毎日、各界の方々が出演され、原発廃止論、原発継続論を、スピーチされています。
話を聞いていて、どちらの話も一理あるし、なるほど、と思う所が、多々あると感じます。
ここで、自分の手のひらで、グーを作って見てほしい。
その手のグーを、右側から見るのと、左側から見るのでは、同じグーでも、全く違った形に見えてくる。
それは、立場が変われば、所が変わるわけであり、そのため、閣僚の方々も、東電も、「不都合な真実」発言できないでいる。本当に難しい問題を、我々、日本人は、かかえてしまったことになる。
元々、原発を造るきっかけは、73年に石油製品が急上昇し、オイル・ショックが起こり、トイレットペーパーまで店頭から消え、資源は有限である、という事を私達に教え、日本はどうあるべきかを考える、きっかけを作ったものであった?
その頃の政治家(大臣)達(この世には、もういません)は、原子力発電を、一つのスローガンとして着目して、推進してきました。福島県の人々は、安全だからと、事あるごとに聞かされ、今回の震災が、結果として、答えになったわけです(他の県も、同じです)。
私は、思います。あの、ペリー来襲(黒船)の時、大東亜戦争(終戦)の時と同じように、今回の事件は、日本史の中でも、最も大きな出来事であったことだろうと?
さて、消費とは、一体、何なのでしょうか?
その実態をみれば、人間が、消費者として、管理されているだけです。ケータイや、ゲームを欲しがる子供は、「みんなが持っているから…」と、親にねだります。子供だけではありません。「みんなが買うから」「みんながするから」みんなが、を理由に、同じ方向に進んでいく。
残念なことに、戦後の日本は、成長にしか、目を向けませんでした。私も、その一人かも知れません。
しかし、21世紀になって、もはや、その成長路線も、難しいと気付き始めました。けれども、価値観自体は、何もあまり、変わっていません。それが、新たな社会不安を覚えさせて、極端にヒステリックになって、子供や他人を攻撃したり、逆に、引きこもったり、ウツになったりといった、社会問題を生んでいます。それは、自殺者の数にも、表れています。
ここに、一冊の本があります。
『不都合な真実』2006年に発刊されたものです。
当時、話題になりました。内容について、まだの方は、是非、ご自身で購入されて、読んでいただきたい。
それは、地球の大気中の二酸化炭素によって起こる温暖化による、未来の姿です。すでに、始っていると思います。外の気温を見てください。35℃、熱中症に注意。
阿呆かと言いたい。知らない間に、慣らされます。
私の子供の頃(中学生)は、せいぜい、夏は暑くても、32℃位でした。それが、今では、35℃〜39℃。これは、確実に、温暖化が引き起こしている変化の一つです。
温暖化が引き起こす変化。たとえば、海。
サンゴ礁が、沢山死ねば、魚の餌と住処を壊し、氷床が溶けていることから、海水面が上昇して、沿岸地帯の都市は、水に沈み、何百万の避難民が出ます。
温暖化の影響は、さらに、干ばつによる食糧危機、洪水の激化、台風の強大化、そして、疫病(ウィルス)の恐怖です。そして、私が最も懸念するのは、水不足による、戦争です。
「まさか」と思うかも知れないが、今、現実に、世界の至る所で、「まさか」が起きている事は、地球生命体からの警告と、素直に受け止める時期に来ているのではないでしょうか?

yoshi
P.S.
孫の顔を見ていて、この子が、50歳になった時、どうなっているんだろうかと。
私は、博士でも、学者でもありません。単なる凡夫です。
しかし、この事は、他人事ではありません。ただ、私の言っている事が、明らかに違い、妄想馬鹿だと笑われるようであるならば、私は、安心です。
ハワイアン「チャント」の話

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