先日、譲二さんのパーティーで、公平さんに久しぶりにお会いした。私が公平さんに初めて会ったのは、
20数年前、四国の永原レオ君の所へ居候しているH君を訪ねに何人かでトリップに赴いた時に、宍喰のポイントの上にある、確かホープという名の喫茶店で朝食を食べていた時である。
当時、私の車の窓には大きなBEARのステッカーが貼ってあり、それを公平さんが

左から、ランディ・ラリック、(故)マイク・デフェンダー、ジョージ藤沢、マイク・ケーシー
まじまじ見てて、が初対面である。その公平さんが、先日のそのスピーチでの会話が感動的で、それは「譲二さんと、ハワイで出会い、
それで日本に帰国したら、小さな店を営みながら、サーフィンしてご飯が食べられれば最高ですね、が願いで、なぜなら、波は私達に合わせてくれないので、自分達が波の時間に合わせなければ。それで、僕はシェーパーになり、譲二さんはショップを営み、海に入る事が仕事だなんて、世間様から見れば都合のいい話なだけど、まだ日本には、業界が出来始める頃でした?
何の確証もなかったけど、あれから40年、こうして波乗りの世界にいられる事に感謝し、御礼を申し上げます。譲二さん、ありがとう。。。」
あの頃、70年代を回想して見れば、ベトナム戦争という背景が有り、国が持つ体制や、権力に対する否定の精神、思想は、ヒッピームーブメントを巻き起こし、ウッドストックでは、フラワーチルドレン、「ラブアンドピース」、若者達がカウンターカルチャー、「ジャニス・ジョプリン」、「ジミー・ヘンドリックス」、「ジャック・ケルアック」など、団塊世代の方々には懐かしい記憶のはず。そこへ、ハワイからサーフィンが融合し、サーフスタイルが出来、発展したのだと思います。
スタイル、ちょっと話がそれるけど、私の中では、東に「抱井保徳」氏、西に「千葉公平」氏、南に「鈴木光彦」氏、北、分かりません?
その年代と共に変わると思うけど、この三人のスタイルは、ナチュラル(自然)、サーファーとしての憧れ、別の世界の住人、
あの70年代のサーフィン雑誌に登場してた時から、ずーっとかっこいいサーファーだと思います?サーフィンをする以上、サーフィンの歴史も少し学ぶと、よりサーフィンにかくし味が付き、安心立命が増すのでは。。。 yoshi
P.S.
スティーブベズマンが書いた、スタイルを記載しておきます。
サーフィンは、スタイルこそが全てだ。
どのように波に立ち向かい、いかに波に対応するか。
そして、どのように海を去るか。つまりそれは、個人の主張でもある。
どのような人生観を持っているか、サーフィンをどのように考えているかを、言葉よりも明確に物語る。
スタイルは、とても複雑な要素から成り立っている。性格、ファッション、マナー、移動手段、恋人、男と女、映画の好み、愛読書、食生活、哲学、そしてボトムターン。。。
一人一人の個性は、これらの総合だ。親から受け付いた遺伝子と異なり、スタイルは個人が置かれた環境の中で獲得した経験の結晶なのだ。
オリジナリティがあって、スタイリッシュなサーファーは減りつつある。
スタイルのある舞いは、地上でも海の上でも、いかなる時でも美しい。スタイリッシュでない人が、スタイリッシュになろうとすればするほど、その姿は無様に見えてしまう。
しかし初心者は、最初はぎこちない動きを見せるが、技を磨く事で、自分の天性のスタイルを引き出すことができる。ボードの上で流れるような動きは、海面に美しい軌跡を描く。
滑らかで確実な腕と手、腰、膝と足首の動き、それにフットワーク。つまり、無駄の無い動きこそがスタイルを獲得するための土台なのだ。
見せかけのポーズを決め、スタイリッシュなふりをするのは、最大の罪である。
By Steve Pezman

7