私と譲二さんとの出会いはやはり、BEARが縁になっていると思う。
当時80年代は、ショートボード一色で、私自身もショートボーダーであった。
なぜBEARを取り扱う事になったかと言えば、チーム員(お客さん)の神原さんと西村(和)さんがお店にやってきて、『BEARのロングボードに乗りたいから、取り扱ってよぉ〜』というのが始まりだった。
映画「ビッグウェンズデー」でBEARの存在は知っていたが、正直私自身はその当時ロングボードに全く興味がなかったために、当然譲二さんとの面識などなく、『困ったなぁ〜』と思っていた。
そんな折、先輩の近藤茂紀さん(当時“TIKI”というサーフショップを経営していた)に相談すると、『オレ、知ってるよ。ハワイで少し一緒に過ごしたことがあるから、電話して紹介してやるよ』となり、譲二さんと会うこととなったのだ。
譲二さんのお店は、昔は現在の場所にはなく、もう少し茅ヶ崎駅に近い所にあった。
初めてあった時は、クールな、一定のリズムで会話をするカッコイイ人だな、と思った。(そして後に、プレイボーイやメンクラのモデルをやっていた事を知った。)
昔のショートの話や、来年(90年度)からJPSAでロングの組織が出来るから、ロング今のうちに取り扱っておいた方がいいし、必ず定着する。なぜなら、ロングはサーフィンの基本だから、。。。と、茅ケ崎のそば屋で色々な話を聞かせてくれた。
その頃伊良湖では、ロングボーダーはパンダさんとバムの井澤さん、スピヤン(遠藤さん)、私、とあと数人しかいなかった。
その後、95年に「NALU」というロングボード専門誌が出来、今はそんな昔の事など知らない人たちがロングボードを楽しむことになるという事を、譲二さんは当時から見抜いていたのかもしれない。。。
なんにせよ、譲二さんは私をロングボードへと導いてくれた恩師なのである。
マハロ
恩師・藤沢譲二さんへのインタビューはこちらからご覧ください↓↓
http://fine.ap.teacup.com/interview/

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