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なむあみだぶつ
2007/7/22
不思議なもので、お寺というところは1件の葬儀が入ると、同じ週のうちに立て続けに3〜4件も入るのです。気のせいといえばそれまでですが、年間の平均件数は大きく変動はありません。
・・・ここだけの話【寺院の年間葬儀件数】で、その寺院の抱える大まかな総門信徒数をはじきだす事ができるのです。その計算方法は秘密です。
今日は日曜日のため、月参りが10数件の上、法事3件に葬儀が入ってしまい、住職以下3人で何とか段取りよくこなしてきました。住職1人で切り盛りされているお寺も多いかと思いますが、本当に大変なことです。どうぞ御身を大切になさって下さい。
・・・さておき、葬儀式進行中に【弔電披露】というクセモノがあります。
読経をいったん中断し、延々と10名くらいの名前とメッセージを読み上げるものです。参列の皆様にはさして気にならないことかもしれませんが、前で聞いていて、とてもコッケイに聞こえます(結婚披露宴での祝電披露や両親への手紙披露も同じことです)。
理由 その@
始まった読経を「中断」するということは弔電の方がお経よりも「格」が上になるので、おかしい。
理由 そのA
弔電は直接喪主・遺族に宛てた「私信」であるのに、何で赤の他人に読み聞かせ、披露せねばならないのか。メールを人に見せたりはしないのにねえ?
理由 そのB
早い話、弔電は【欠席届け】である。「馳せ参じる事が出来なくて、申し訳ありません」との詫び手紙である。それは喪主・遺族が了解すればよいだけのこと。
真光寺が導師を勤める葬儀では、全く披露を断るのではなく、少し譲歩して「正信偈」読経中の一般焼香案内中に読んでいただくようにしてきました。しかし、これも読経の声と弔電披露のアナウンスがダブってしまい、厳粛な儀式進行の上で問題があるのです。
んじゃ、どうすればいいのか?
簡単なことです。遺族の心情として「せっかく発信していただいたのだから、読んで欲しい」との思いを尊重するならば、本願寺が葬儀規範で指導しているように、開式10分前に披露すればいいだけの話です。参列者の方々は皆着席し、ヒマを持て余している時間帯だからです。そうすれば遺族・僧侶・葬儀社・発信者の全ての人の顔が立つのです。
これを実践するためには、簡単な説明の書面を用意し、通夜の日にでもご遺族・葬儀社と打ち合わせをし、円満な了解を得る事が大事です。聖徳太子さんも言っているのですが、何事も話し合いが大事。話し合いをしっかりすれば不可能なことは何も無いのです。
変な話、結婚式は2度・3度と出来ますが、葬儀式は1回きり。
高額な御布施をお預かりしている以上、私は気合入れてやり遂げます。要望や不満があればお互いに指摘し合えばよいのです。ただし僧侶の側からは「浄土真宗ではこうだ!」みたいな原理主義に陥らないこと。
やんわりと、やんわりとね。

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投稿者: 若院★きむらせいゆう
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