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なむあみだぶつ
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2006/2/23
私は現在、本山・本願寺の基幹運動本部・門信徒会運動部門専門委員(名称長過ぎっ)
をしています。いろんな立場の委員さん、ならびに本山の事務方、先生方と15人くらいの会議に月1回のペースで出向いているのです。
そんなおり『門徒推進員だより』という冊子に掲載する「法話」原稿を依頼されましたので粛々と書き上げまして、文の最後に「南無阿弥陀仏」と書いて結んだのですよ。手紙で言うたら「敬具」みたいに。
・・・でも一部の委員さんから「そういうところに南無阿弥陀仏と書くべきではないのでは?」と指摘されてしまったのです。
「・・・??何故?」と思わざるを得なかったのです。口頭での法話ではいつでも南無阿弥陀仏、と称えるのに、なぜ文字になるとタブー視されるのか、はたまた最後に書いたのがいけなかったのか?・・・
「南無阿弥陀仏って、大事な言葉だから軽々しく書くべきではない」という意味だったのでしょうが、そんな意図は毛頭もありません。むしろ「いつでもどこでも南無阿弥陀仏だよ」と教えられたので、未だに納得がいかんのです。

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投稿者: 若院★きむらせいゆう
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