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なむあみだぶつ
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2007/2/26
TBSドラマ【華麗なる一族】に今、夢中である。
原作は【白い巨塔】などで有名な作家、山崎豊子である。
1974年に仲代達也や佐分利信が出演していたのをご存知の方も多いだろう。思えば90年以降のドラマは視聴率向上を目標に作られた、女子中学生レベルの恋愛モノばかりだったが、70年代はストーリーがやはり面白い。特に山崎作品は人間の持つ光と闇のコントラスト(対比)を立体的に描きだすのに長けている。加えてその社会背景との関連付けも巧みである。

もっともエゲツナイと思ったのは、父が息子の嫁を寝取るというシーンであった(主人公・万俵鉄平〈木村拓也〉は祖父〈敬介〉の子であることが明らかになる)。
・・・とはいっても、旧家などではよくあったことらしい。家父長が絶対的権力を持つ環境では、嫁とはまさに字の如くに【家の女】、つまり家長の所有物であるが故に。
万俵家(姓からしてルーツは豪農か?)は近代的な洋館に住しつつも、考え方は前近代的である。そのギャップは明治から続く日本人の病気みたいな面でもあるが。
話は飛躍して、一女性が寺に嫁すとやがては【坊守;ぼうもり】と称されるが、何のことはない。【寺男】ならぬ【寺女(てらおんな)】になるのだ。坊守には住職と並んで重要な使命がある。それをそれとして受け入れられるか否かは、現代では自由である。しかし両親世代は自由ではなかった。いやそこに選択の余地すらなかったのである。そのことを是とするか非とするかは、もはや哲学論議になるであろう。
ドラマでは【華麗なる一族】を形成するには私情は無用である、と説く。山崎豊子は【家】と【個人】の切ないせめぎあいを描いたといえよう。
だが人は皆、どこかしらで万俵家の面々の様相を呈している。仏教は万俵家の如くにおぞましく、煩悩に満ちた人間世界を厭離(おんり;嫌い遠ざける)することを説き、清浄なる世界への出離、すなわち【出家】を説いた。だから法名は姓を捨てて【釋何某】と名乗るのである(得度したら全員、俗姓を捨てるべきではないか?)。
浄土真宗もその例外ではない。一度人間世界のドロドロを経験して、出家して後に再び人間世界に還り来たって活動しなければならない。無菌状態の寺の跡継ぎ息子がのうのうと坊さん顔していてはならない。厭離の無いところに仏教の思想は全く意味はない。
ちなみに、ぜんぜん華麗ではない当・木村家における父と私の関係は、万俵大介と万俵鉄平に似ている部分がある。幼少より祖父に可愛がられた私は、いまだに父との接し方がよく分からない。度胸と怒らせた時の恐ろしさ・短気・協調性の無さ・建物や学問への興味は祖父譲りだと思う。父は祖父に対していまだに畏れにも似た感を抱いているし、なぜか祖父の油絵の肖像画が洋間に飾ってあるし・・・。
まさか、じいちゃん?・・・

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投稿者: 若院★きむらせいゆう
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2007/2/24
真光寺では昨年より、十数年間途絶えていた日曜学校(最終日曜・午後3〜4時)を再開しております。
住職と若院(弟・仁雄)が指導しております。きっかけは元・日曜学校生がお母さんになり「我が子も仏さまの前で大きくして欲しい」との何とも有り難い依頼によって再開したのです。
この写真は1月度に書初め会をしたときの一コマです。こういう大きな紙は初めてのようでしたが、力いっぱいに書いてくれました。誇らしげな様子がほほえましいです。【字は人なり】、みんないい子に育ちますように!

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投稿者: 若院★きむらせいゆう
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2007/2/18
これは海外に在住する日本趣味のヒトビトの家の写真集です。大学生のころ、あまりのカッコよさに買ってしまった本です。今みても改めて新鮮に映ります。
建物の造形や内装の意匠について、私はクラシックを信奉しているのではなく、モダニズムにあこがれているわけでもありません。要はそのバランスなのです。
門信徒宅にホームステイに来ている海外の青少年たちに、日本文化はこういうものだよ、と紹介できるようなお寺のシーンを整えたく思います。全国のお寺の写真集があればぜひとも購入したいですね。有名寺院の写真集ではなくて、名も無いお寺のナマの姿を写し出したものを。
教えや法話も重要ですが、それ以上に感覚的な寺の雰囲気を大事にしたいものです。いや、実際問題として後者の方がはるかに重要でしょう。

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投稿者: 若院★きむらせいゆう
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