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なむあみだぶつ
2007/3/30
人を呼ぶとき、私たちは当然のことながら「名前」を用いて呼ぶ。
名前には本名、姓(苗字)・下の名・ニックネーム・雅号・法名・芸名・はたまたスパイよろしく“007”のようなコードネームまで、多種多様である。
江戸時代の真宗の書物を読んでいて興味を引かれたのは、名前そのものよりもその人が住していた地名を以ってその人の呼称としていることであった。たとえば龍樹菩薩は南天竺(インド)出身なので【南天】、源信和尚は比叡山の【横川(よかわ)】という具合である。おそらく名前そのものを直接に呼ぶことは畏れ多いという認識があったのだろう。
以前から不思議に思っていたのは、僧侶同士はなぜ寺名で呼び合ったり、俗名で呼びあうのだろうか、ということである。
【法真さん・教了さん】などと法名では呼び合わない。僧侶がそういうことをしているからますます「法名は死後の名だ」、という認識を植えつけてしまうのだろう。帰敬式を受けられた門信徒でも【田中さん、山下さん】はおかしいだろう。お互いに法名で呼びあえない環境とは、要するに仏法が薄いということだと私は思う。
僧侶といえども洋服を着て町を歩くときは俗人である。袈裟・衣を着ているときはそういう自分に変身する。そういう区別というか、ケジメをきっちりと付けておきたいのだ。俗のときは【木村クン】でいいのです。でも袈裟衣のときは【木村サマ】でも返事しないよ〜。
そもそも名前は娑婆世界における仮のもので、その人自身では決して無い。状況に合わせて使い分けると面白いデスよ。名前は変わってもその人自身は変わらないのだから、そういう意味ではいい加減なもの。
私なんてここだけの話、回転すしなどの座席待ちリストには【大谷光真】って書きますから(某門主ではありません。あくまで架空の人物です)。
ちょっと高級なレストランなら【真行寺 万斎(しんぎょうじ まんさい)】で予約します。携帯番号なんか聞かれたら「祖父の代から世話になってます」で、それ以上は聞かれない。店に行ったときの店員さんの対応を伺うのも楽しみです。それだけの料金払ってるんだから、楽しまないとネ!
・・・あああ、華麗なる合理主義者っ。

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投稿者: 若院★きむらせいゆう
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2007/3/27
宝塚歌劇団の団員さんのネーミングって、とてもユニークである。個々のお名前をあえて書くと諸問題が発生するので書かないが、芸名って我々のいう「法名」みたいなものか?!
もしも、こんな名前の坊さんがいたら・・・ちょっと素敵だ。
本願 まこと
月影 テラス
罪業 重(ざいごうしげる)
大谷 なむ
法花(のりはな) ひらく
妙 声音(みょう しょうおん)
香華 鸞(こうげ らん)
信 めぐむ
氷上 燃 (ひょうじょう もえ)
光明 きらり
菩提 あきら
大悲 おさむ
法城 健吾(ほうじょう けんご)
今日は私、ヒマなんです・・・。

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投稿者: 若院★きむらせいゆう
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2007/3/24
タレントの向井亜紀さんに代理出産で生まれた自分の子どもが、最高裁判決では実子とは認められないという判決が下った。
遺伝子的には実子といえるが、法律的には実子ではないという悲劇?ややこしさ?せつなさ?・・・。
私は男性なので女性・母親の気持ちに立って意見を述べられないという事実を百歩譲ったとしても、この判決は妥当であると思われる。裁判とは社会正義にのっとって判断されるもので、残念ながら個人の利益にのっとって判断されるものではない。
素人目からみても【代理母制度】の危険な点は次のように指摘できるだろう。
@出産とは女性にとって命がけである。ならば、代理母が妊娠・出産時に命を落としたら一体、誰が責任を取るのか?
A神聖なる妊娠・出産をビシネスにしてしまう者が必ず出てくる。
Bキャリアウーマンが、本来、妊娠出産にかけるべき時間と労力を代理母にゆだねることで、出産という生命の一大事が打算的になってしまう。時間と危険性を他人にゆだねて、その代償をお金で買うということは倫理的に大きな問題がある。
C柳沢大臣発言があんなに世間で叩かれたが、代理母制度こそ女性は産む機械であると公然と認めていることになるではないか?!
向井亜紀さんにはきついようだが、そうまでして“自分の”子どもが欲しいのだろうか?と思う。・・・正直テレビを見ていてウンザリである。彼女はタレントでお金も人脈もあるから代理母を探して遺伝子的に自分の子を抱くことができた。世の中にはそういう恵まれた環境になく、子どもをあきらめた夫婦は数多い。出産できなかった場合は養子をもらうという手段もある。苦労して苦労して遺伝子的に実子である子を授かってこれ以上何を望む?今の向井さんは十分に幸せだと思うのだが・・・。強く優しいダンナもいて最高じゃんか?
結婚して子を授かるというのは自然の欲求であろう。しかし諸般の事情で結婚できない人もいる。肉体的・金銭的な事情で子どもに恵まれない人もたくさんいる。でもそれぞれの人間はそれぞれの事情の中で幸せを得る権利がある。恵まれた環境の向井さんを妬む人は相当にいると思う。
いろんなスタイルで自分の存在やいのちの尊厳を認め合うことが望ましい。しかしその手段や方法を探るにあたっては、必ず深い【我欲】が出てくるものである。我欲は往々にして他者のいのちや尊厳を傷つける。
医療の発展が人間の悲劇を招く次代に突入した、ということでしょうか?そこに何らかのブレーキなり舵取りなりを提供するのが宗教の役割であろうと思う。
宗教者はいのちの問題についてもっと発言せよ!こういう時がチャンスなのだ!

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投稿者: 若院★きむらせいゆう
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2007/3/21
投稿者: 若院★きむらせいゆう
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