ようこそ真光寺ブログへ。
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目指せ1000記事投稿!(2021・2月1日現在918本)
なむあみだぶつ
2008/2/29
今の季節は何といっても庭の手入れのシーズンで、樹木の細胞が休んでいる時期に肥料やりやら、植え替えを試みたりしてみる。
庭は足元(地面)を見せるものといってもよく、高価な灯篭などを設置しても地面が土丸出しでは興ざめ。境内全体は【ジャミ】といわれる小石を敷き詰めるとよいでしょう。雑草もほとんど生えません。これを敷き詰めると一気にお寺らしくなります。
ただし夏は熱を持つので、日よけを兼ねた広葉樹やつくばいなどの水のスポットを適所に配することがポイントです。
今日は【リュウノヒゲ】という地覆いの緑を株分けしてみました。


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2008/2/26
真光寺の所属する天野南組(あまのみなみそ)の若院会での一コマ。・・・余談ですが関西では【若院】をワカインと読みますが、中国地方ではジャクイン・ニャクインと言うそうです。
ふとした話の流れから、七条袈裟の着用方法を正式に学びました。

ついでにお内陣を拝見しては、仏具の向きや配置なども確認しあいました。
・・・たとえば、
◆お宮殿前に懸けられる一対の金灯篭(かなどうろう)は、扉を阿弥陀さんの方に向けて常に開放しておくべきものである。
◆前卓に打敷を敷くときは、卓の両端の【筆返し】を外す。
◆輪灯の底と、花瓶(かひん)の上端は同じ高さにする。
こういう研修は非常にありがたいものです。
衣体・お荘厳はいわゆる【格好モノ(・・・関西以外の人にはこの表現はわかりにくいでしょうか・・・江戸では綺麗事というそうな)】ですので、理屈抜きでキチッとしておきたいのです。
かかる研修内容を映像にしDVDで組内各寺院に配布してはどうか?と提案しましたが、反応は鈍かったです・・・。

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2008/2/23
後門柱(ごうもんばしら)とは、本堂の仏間に当たる【内陣】中央のご本尊阿弥陀如来御木像を安置する、宮殿(くうでん)と須弥檀(しゅみだん)を収める壁の両端に位置する丸柱のことである・・・(説明、長っ!)

当初は内陣は最低限の修補にとどめる予定だったが、長期的な視野に立って後門・後堂を擁する標準的な形式に変更することとした。修復工事の場合は当初の計画には浮かばない色々な出来事があるから、予算面での十分な余裕が必要である。
旧本堂ではご本尊が両脇檀(御開山・御代前)と同じ列に並んでいた。これは江戸時代の建築様式的に見て、本格的【寺院】ではなく【道場】形式、もしくは本坊に対しての「塔頭(たっちゅう)寺院」によく見られる形式であろう。
ともあれ、こうして、ひとつひとつの【形】が現われてくることは非常に楽しいことである。【形】はいきなり現われてはこない。その裏の【計画・思い】が幾重にも重なってくるからこそ【形】になるのである。

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2008/2/18
ソウルの南大門(ナンデムン)が放火されて早や、1週間が過ぎた。韓国国民は自分の家が焼けたかのような思いだったという。
南大門の作りは日本の仏閣に非常に似ていて、屋根下の垂木が丸いところが違うくらいで、とても親しみの湧く名建築であった。そうえいば韓国の大統領府もとても格好のいい建物である。
韓国は日本と違って、近代化をなかなか受け入れなかった国である。現在はIT・教育先進国として日本の先を進んでいると同時に、伝統的な儒教精神も根強く、男系崇拝・年長者への敬愛の念が強い。ということはつまり、祖先たちの築いてきた文化や形を大切にしようとする念も強いということに他ならない。
我が国ではどうだろうか。
明治時代の西洋建築などは保存運動も強いが、江戸より昔のものへの評価は相対的に低いのではないだろうか。どっちかといえば「古いものは厄介もの」との印象が私には強い。
よく聞かれる言葉のひとつに・・・
「・・・新築にした方が安いでしょう?」
私はこういう愚問には、こう切り返す。
「建てないほうがもっと安いですよ」
古いものを厄介に感じるのが2〜30代の若者ではなく、7〜80代の年配者に多いということも不思議なネジレ現象であろう。女性は古布などの古いものを珍重するが、男性は何故か新しいものにこだわる。
「こんな建物は早いことつぶして、スカっと新しいもの建てよう」と老人が言うのである。先祖たちの苦労を何だと思っているのだろう。どういう思いで建てたのだろうか、ということを現代人は深く考えねばならない。お叱り承知で申せば、昔のことを若者に伝えなければ老人の存在意義はないとも思う。

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