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目指せ1000記事投稿!(2021・2月1日現在918本)
なむあみだぶつ
2008/9/25
ドングリ念珠の拡大写真です。


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2008/9/22
この念珠の珠(たま)、何だと思いますぅ?
・・・ドングリです。

テカテカしていますが、ツバキ油を塗ってひび割れを防いでいます。
ヒモの編み上げも無論、住職の手作業です。
住職が糖尿病対策で運動にいそしんでおり、出没ポイントの一つである「府営・大泉(おおいずみ)緑地」にて拾ってきたとのこと。
なんでも、地面をあさっていると不審者に思われるのが恥ずかしいらしい。
蓮如上人に言わせると、枯れ葉散る公園も“仏法領(阿弥陀さんの領土)”。
私に言わせると“ゴミは一金の値あり”・・・?!
さていかほどの値をおつけしましょうか?
・・・冗談抜きでお望みの方はご連絡ください。

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2008/9/10
私の祖父(前住職)は、勝負事が大嫌いであった。
阪神・巨人戦に熱中する輩をキ○ガイ呼ばわりもしていた。
なのに、本人は相撲が始まると興奮気味に見ており、
不思議に思った小学生の管理人は、
「相撲も勝負事と違うの?」
と尋ねたところ、
「バカ者、“相撲は国技”じゃ」
とやり返されたことを鮮明に記憶している。そのときは“大人って勝手なものだな”と思ったが、今思うと、深い意味があったように思える。
私はスポーツのことはよくわからないが、宗教の事なら一家言あるつもりだ。
つまり【相撲とは相撲道であり、国技すなわち、神事】でもある。
角界に大麻などの問題が生じると、必ず「神聖なる国技、日本の伝統を汚した」などと“自称”評論家が出てくる。また「外国人には日本人の精神性が分からない」など。
でもはたして【神事(神道)】に関して、日本人力士・親方といえどもどれほどの見識があるのだろうか、と不思議に思う。
堺別院など、巡業場所になっている寺院も数多いがそれはどうでもいいことなんだろうか?・・・力士が死ぬとほとんどが仏式で葬儀をするがそれは神道文化への挑発でもあろうし、神聖なる取組を観客は弁当パクつきながら観戦してもいんだろうか・・・等々。
相撲は奉納神事だから、他のスポーツのように勝敗は二の次のように思うのだが、やはり現代の商業的な意味合いからも、スター力士を輩出し、勝つこと・横綱になることを目標にすることも大きな意味があるように思う。しかしそのことが、本来の相撲道の精神性と矛盾してきていることは私の如き素人目にも明らかだ。
・・・ならばこの際、【相撲】と【SUMO】とに分別し、前者を神社本庁が管轄し、純粋な神事として日本人限定で日本の伝統を守ってもらい、SUMOはプロスポーツとして国籍不問で、どしどし盛り上げてもらってはどうだろうか?もちろん女性力士もOKだ。
それがだめなら首都圏以外で相撲の本拠地を置くことだ。都会は若い力士には誘惑が多すぎるから。そんな環境で、神事だ伝統だ、なんて無理がある。神事には何よりも清浄性・秘匿性が重要である。力士は盛り場に行ってはならない。インタビューにも饒舌に答えてはならない。口を黙して形で示すのが日本の神事の伝統である。

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