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なむあみだぶつ
2008/10/28
当ブログにて私が甘党宣言をしたものだから、数人の門信徒の方々から、私の好物を頂き、厚かましいやら恐縮やらで・・・
ありがとうございます。皆様にはきっといいことがありますよ!

今日はこれまた好物の【ステラおばさんのクッキー】を頂き(いつもよりたくさん入っている!)、私はたいそうご満悦であります。さっそく頂くことにします。ステラ・・・のクッキーはサクサク感が良いです。
先日ネットで買った『決定版 色の名前507』(主婦の友社)を読みながら、諏訪内晶子のヴァイオリンのCDを聞きつつ、物思いにふけるとしよう。。。

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2008/10/20
明日は、門信徒会の「聞法の集い」の日である。
気候が良くなると、参加者も集中して聞いてくださるので(勝手な憶測!?)、法座にも気合が入る。今回は『歎異抄』第8章の話をすることにした。
一 念仏は行者のために、非行・非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。ひとへに他力にして自力をはなれたるゆゑに、行者のためには非行・非善なりと云々。
【超意訳】
「南無阿弥陀仏」って称える念仏は、私が発する声ではなく、私の祈りでもない。念仏は、私というものを否定するところに成立するのだ。
ナマンダブツ、ナマンダブツ・・・
声に出して称える人は少なくなっています。
が、あえて「大きな声でお念仏を・・・」、というのも強制めいておかしい。
まぁ、無理して称える必要はありませんよ。
しかし、あるとき、ふっと無意識に声に出ることがあります。
それが本物のお念仏だといえましょう。少し考えて称えるようでは、自力です。
この譬えが正確かどうかはわかりませんが、・・・急に寒いところに出たとき、思わず「あぁ、寒っ」と言いますね。しばらく考えて「寒いっ」ていうわけではないですよね?
寒さという外的要因が、私を通じて「寒いっ」て言わしめるのです。コタツに入って寒いっていうたのでは、本当に寒いのではない。
これと同じ理屈で、ナンマンダブツも、如来の慈悲心という外的要因によって、無意識下で「ナンマンダブツ」と発せられるのです。人に言われてナンマンダブツと称えるのならば九官鳥にでもできる。ではなぜ、称える人と称えない人が居るのか?・・・後者は自力という強固な殻を持っているからです。
浄土仏教の根本であるはずの南無阿弥陀仏。
善導・親鸞の六字釈がどうのこうの、といわれる御仁も多いでしょうが、もっと宗教哲学的なアプローチ・自分の言葉・表現で「ナンマンダブツ」に迫る必要があるように思えてなりません。
生者と仏(死者)を結ぶ大事な言葉がナンマンダブツに包含されているはずです。
物理学的にいうと、ナンマンダブツは、対称性を破壊するものかもしれませんヨ。

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2008/10/17
境内には【ホトトギス】の花が咲いております。
一輪差しなどに持ってこいの草花です。

株分けも簡単ですので、ご希望の方は冬頃にお越しください(数に限りアリ)。
秋と言えばクモですが、青空を背景に見ると大変美しい体をしていることに気付きます。


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