2009/2/21
過日、外国語が好きな某知人と
「○○は英語で何て言うの?」
「・・・それはナニナニですね」という昼下がりのトークをしておりました。
ふとかえりみるに、阿弥陀(アミダ)という言葉はまさに外国語(古代インド語)であり、その漢字は音写文字です。言語構造も英語とも無関係ではない(インド・ヨーロッパ語族の関係)ようです。
さて、アミダとは、ア・ミダに分解されます。
アとは、英語のaway などの ア で、【(後に続く言葉から)離れて、越えたところに・・・】という意味を冠する接頭語です。
ミダとは、長さの単位のメートル(meter)と語源を同じくします。メートルとは【計測】がもともとの意味です。
つまり、ア・ミダとは【計測の範囲を超えたところにある】という意味になりまして、漢訳ではこれを【無量・無碍】などと訳しました。
では何が計測できないのか。
仏の「光明」と「寿命」です。
そう、「帰命無量寿如来 南無不可思議光」のことです。
漢訳・和訳があるのに、何ゆえにわざわざ音写文字である「南無阿弥陀仏」と記し、ナンマンダブツと称えるのか・・・?その言葉の響きの中に世俗にはないミステリアスなもの、「スピリチュアルな仏との呼応」を感じ取っていたからではないでしょうか?
ロゴス(言説)ではなく、パトス(情念)に重きを置くことで民衆の信仰を集めたのではないかと思います。(親鸞聖人はロゴスの人だと思います。)

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