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目指せ1000記事投稿!(2019・10月6日現在872本)
なむあみだぶつ
2009/3/31
「今日はちょっとお経あげるの、早いんとちゃうけぇ?」
ドスの利いた声で痛いご指摘です・・・。
俳優の中尾彬に似た体格のいいMさんは、本当のところ良く分からないが、黒の日産シーマにすべて金のエンブレムをつけ、公道にはみ出して駐車させている点など、その筋の人と見たのであるが。。。
「あんなあ、若なぁ、何でワシんとこ、お茶ださんと昆布茶出すか知ってるか?」
「・・・いや、わかんないですが美味しく頂いてマス・・・」
「ワシが昔、“やんちゃ”しとった時にやなあ、世話になっとった人に言われたんや。お寺さんや客人に茶を出すいうことはやな、“茶化(ちゃか)す”いうように人を小バカにするいうことなんや。せやからワシらはな、お寺さんにはやな、ありがたいお経さんあげてもろて、仏さんもワシもよろ“こぶ”、んやがな、それで“昆布茶”ださしてもうてんねん」
・・・なんだかよく分からない論理だが、説得力だけはあります?
さらには・・・
「若ぁ“器”いう字あるやろ、なんでこんな字か知ってるか?」
「い、いや、考えたことありませんが・・・」
「器には口という字が4つもあるやろ? 中の“大”いう字は、口に囲まれて大の字になってる人間を表してるんや、つまりやな、器の大きい人間いうたらやな、周りのいろんな人間の意見を低頭にして聞くことのできる人間いうこっちゃ。覚えときぃ」
ほほぉ〜 (+o+)
【極道】と【仏道】、いずれも世間の中にあって、出世間・非日常の一面もある。私は極道社会の「仁義」や「大切なものを守ること」「男の美学」みたいなものに魅力を感じずにはいられない。
かくして来月の月参りへと、「仁義なき戦い」は続くのであった。

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2009/3/26
落慶法要では、4斗樽、すなわち40升の祝い酒をふるまって下さった篤信の方がいらっしゃいました。実物は初めて見ますが、すごい迫力ですネ。


ともあれ杯を上げて皆で労をねぎらいました。

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2009/3/23
3日間、計6座の落慶法要が終わりました。
遠近各地よりたくさんの方々がお参りに来て下さいました。
後片付け・本堂の掃除・会計の確認などを終えてからようやく
「あ、本堂が新しくなったんだ」と感じました。
工事中や法要中は、それこそ【無我の境地】で仕事をこなすだけでしたから・・・。
以下の写真は二日目の昼座の様子。
本願寺勧学・龍谷大学教授の淺田正博先生のご法話でした。


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2009/3/20
本日、落慶法要初日は無事に終了しました。
めったとない、ご寺院方との記念写真。
礼装第1種という【七条袈裟】でのご出勤でした。

皆様方にはご多忙中、ご無理を申しあげました。
真光寺の歴史に残る写真となりました!
落慶法要ともなりますとやることがあまりにも多く一日中動き回らねばなりません。建設委員の方々にも大変な労をお掛けいたしました。
そんな中で腕をつかまれて「あのぉ、お墓の移動はどのようにすれば?」なんて問い合わせにも、ひきつった笑顔
で対応する若院サンでありました。
余談・・・
五色幕の下にのぞく扁額には白字で「無尽蔵(尽きることの無い蔵)」と草書体で書かれています。旧本堂から引き継いだものです。
この語句には、
第一に
【本堂、ひいては寺院という場所・役割が、無限の可能性を秘めているという意味】
第二には、
【いかなる金銭的価値を以てしても、仏法の大切さは計り知れないという意味】
第三には
【寺に関わる人々との親交(信仰)・協力体制によって皆の心の財産が無限に増えていってほしい、という願い】
が込められている、と思います。

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