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なむあみだぶつ
2010/5/29
・・・とか何とかいって(下の記事より)、堺はすごい町なんです。
飛鳥・奈良時代に【行基;ぎょうき】(668〜749)という僧がおられまして、仏教精神に基づいた数々の社会的実践活動(農業用水の確保・架橋・交通整備)を成し遂げられ、その姿をみた当寺の人々は【行基さん・行基菩薩】と親しみと畏敬の念を重ねられたのでした。
当地では今も行基さんを開基とする寺院が数多く存在し、堺の地は行基さんの業績が基盤となっているといって過言ではありません。
詳しい説明は、当寺門信徒会会長の前田秀一さんのご研究の紹介に代えさせて頂きます。このたび『現代に生きる僧・行基の伝承伝説−生誕地「行基の里」(提唱)を中心として−』(黄色い本)をまとめられました。真光寺にもまとめて数冊ご寄贈くださいました。
http://www.h4.dion.ne.jp/~js.maeda/gyouki.html
・・・どうでしょうか、非常に魅力的な町作りが為され、奈良や京都のように華やかさはないにせよ、大地に根を下ろしたというか、王朝文化ではない庶民の風土が感じられると思います。
ひょっとしたら、中世の蓮如上人が目指したひとつの社会観である【仏法領;ぶっぽうりょう・・・仏さまの世界のもと、人々はつつしみ、和合せよ】の原型が行基さんの業績に由来するのかもしれません。
小学校3〜4年で行基さんあたりの歴史を習うのですが、みんな忘れてしまっています。むしろ高校で学ぶべきだろうと思います。ふるさとの歴史を知らない者に現代を活かすことはできません。本願寺や大学、各種学院で習ってきた浄土真宗の教えもそれぞれの土地の歴史・風土に合わせて噛み砕いて説かねばならないはずです。
地方の衰退や、寺院をとりまく地域の閉塞感とは、案外こういうところの足元を見直すという点にあるのではないか、との学びを得ました。特に僧侶・神職は当地の歴史の証人となり、宗教以外のことで汗を流すことの必要性があるように思えてなりません。
・・・ということで管理人は【堺】ナンバー改め、【行基】ナンバーの交付に向けて汗を流したいと思います


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2010/5/25
当地、堺市が政令指定都市になる前は【和泉(和泉でイズミと読む)】ナンバーでした。

が、以後は【堺】ナンバーになり、非常に困っています。

見た目、間の抜けた感じがしてならない・・・。
たかだかナンバーかもしれませんが、どこの地域に所属し、どういう車をチョイスして、どんな人が乗っているのだろう・・・と想像するのは楽しいことですし、安全運転にも大きく関わってきます。
たとえば【なにわ】ナンバーのベンツはみんな893に見えるので誰も近づかないですし、【神戸】ナンバーの赤いアウディは金持ち音大生に見えるので、思わずチラ見したくなります。東京の【品川】ナンバーはワシら関西人との“身分の違い”を感じさせる、などです。
つまりはナンバーには“アイデンティティ”があるっちゅうことです。
件の【堺】ナンバーの軽でやってきた坊さんは、お布施の料金表をクルマに積んでいそうなガメつい印象はないですかぁ??・・・タイガースの汚いタオルをダッシュボードに置いてあったりして・・・あぁああ、真光寺イメージダウン。
古い価値観であることは承知ですが、車はその乗り手の思想や社会的地位を如実に表すものです。
その街にどんな車が走っているかで、その街の「品格」や大体の「地価」も分かります。またどんな車を選ぶか、管理の仕方、中に置いてあるものは何か、は心理学の格好の判断材料になります。心はウソはつけません。私も営業(?)でクルマを使う以上、浄土真宗のイメージを損ねないよう、配慮はしています。
でも、ナンバーだけはどうにもならない・・・(T_T)。

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2010/5/21
当寺の篤信の門信徒のNさんはいつも毎日新聞の切り抜きを下さる。毎日新聞は文化・宗教面の情報が充実しており、一般の読者も浄土真宗のことを身近に感じていただけるよい契機となっています。
・・・どうでしょうか、一昔前ならば職場や寄り合いの場では「昨日の新聞にこんなこと書いてあったね」「うんうん、あれはね・・・」というような会話があったように思いますがいかがでしょうか? 最近はないでしょう?
月参りや法事を生業とする我々も、お経あげて、天気の話して、次の家行くのだったら「お経の宅配」と言われても返す言葉がありません。「新聞にこんなこと書いてありましてね・・・」というお話を“呼び水”としてコミュニケーションを深めていったらよいのでは?
「そういえば、今朝の日経に・・・」っていう坊さんもイヤだが。。。(+_+)

さらには「組」や「婦人会」「壮年会」「キッズサンガ(中学生以上ならば)」でも新聞の切り抜き・時事ネタをもとに様々なお話が深まると思うのです。我らが宗派で推奨するお寺の研修は、テキストが難解で同じような内容で、自己啓発セミナーのようでもあり、要はつまらんのです。
もっと身近で親しみやすく、ためになる話題があるはずです。新聞は尚もそういう話題に事欠きません。新聞をテキストにしたらよいのです。
人間は文字を読んで理解することに喜びを感じ、それを他者と議論し、味わいを深めることに得も言われぬ悦びを覚える生き物です。
蓮如上人は550年前にそのことを敏感に察知された方です。蓮如さんは各地を転々とされましたので、それぞれの気候風土、食文化や変わった風習、効率的な農作業のやり方のコツ、嫁イビリの話、枕の話(夜も四十八願!みたいな・・・)など様々な情報を入手して各地の門徒に見せて回っただろうと想像します。それを呼び水としてお念仏の肝心な話に引き込んでいったのでしょう。ものすごい情報を持っていたはずです。
いよいよ【i−pad】も出現し、新聞が無くなるかもしれないとの噂が出ておりますが、モニターにせよ紙にせよ、“目と脳で読む”というアナログな行為は百年経っても変わらないのです。
新聞にせよ、ネットにせよ、複数のメディアからの情報を一寺院・一僧侶が集めることは不可能ですから、それこそ「組」や門信徒からの情報提供を仰ぎ、時代の要請に応えることこそが「門信徒と僧侶の課題の共有」ではないのかな・・・?

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2010/5/18
立派な壮丁の本が本山より届いた。
『勝縁 −即如門主組巡教記録−』

24年もかけて全教区544組※を巡回された記録である。
※組(そ)・・・宗派における行政単位。都道府県を「教区」とすれば、市町村にあたるのが「組」。
全国の住職・門信徒のナマの声を聞いて浄土真宗の興隆を期すことがご門主の大意であったと思う。想像を絶するご苦労の連続であったと思われる。
大変興味深い本で一気に読んでしまった。
ご来駕を生き仏サマ降臨のごとくお迎えの地域もあっただろうし、ワイらのぶっちゃけた話(ぶっちゃけすぎた話もあったようで・・・)を聞いてもらおうと鼻息の荒い組もあっただろうが、組巡教はそれ自体で完結するものではなく、そこから組の発展・僧侶・門信徒の精神性に厚みを持たせることこそが目的であったに違いない。
「神社・神棚・観音さんに参ったらいけないのか?」
「何で靖国神社に反対するのか?」
「迷信・俗信をどう考えるのか?」
「新宗教対策はどうすればいいのか?」
「神と仏とはどう違うのか?」
といった問いが昔も今も、全国の現場から出てくるのだが、いまだにこの種の問いは平行線をたどったままである。浄土真宗としての正解はあるのかもしれないが、それが多神教的な日本という風土・伝統・歴史・文化を全否定し、迷信にも振り回されるであろう純朴な人々と争ってまで正義を貫かねばならないのか、私は甚だ疑問である。もっと上手いやり方(方便)があるだろうに・・・と思う。
そういう根本的な問題をじっくり取り組まずして浄土真宗の未来はないと考えさせられる書であった。寺院関係者はただちに当書を熟読され、ご門主のご辛労に敬意を表して、寺院を取り巻く厳しい現実を把握されたい。

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