本日は久しぶりに家族葬でない、一般葬。
ざっと200人の参列者か。
関係各位から喪主宛に弔電が届いている。
それはそれとして、葬儀司会者が打合せ中に、
「弔電は16通です・・・」
「・・・それがどうしたの?」
「いや、あの、式の間に休憩いただき、そこでご披露を、と思いまして・・・」
「なぜお経を止めてまで読み上げるのですか?」
「・・・」
私はイケズをしているのではない。大事な門信徒の葬儀を厳粛に執行するために、司会のプロに“弔電披露の意味合い”をたずねているのです。
一般の門信徒のお立場からは弔電披露の何がおかしいのか、と思われたことでしょうが、今回は仏式葬儀のプロの立場としての愚見を聞いていただきたいと思います。
@ 弔電は式に出席できなかった詫び状のようなもの。わざわざ足を運んできた人を待たせて、その人たちの紹介もせずに、欠席者の紹介をするのは妥当か?
A 弔電は喪主・遺族に宛てた「私信」である。皆さんは自分宛のメールを人に見せますか?
B 読経を中断して披露する、ということは、お経よりも弔電の方が大事だということになる。(通常番組を中断する重要ニュース速報みたいな)
・・・いかがでしょうかあぁ?
時間を割いてまでの披露が不要なことを御理解いただけると思います。
でも、発信者の意図を最大限尊重させどうしても披露するのであれば、例えば
A・開式5分前に披露する。
B・一般焼香中(読経中になるが)披露する。
C・掲示する
になります。
弔電披露の意味合いとして、地元の政治家や有力者のアピールという面があることをよく承知をしておりますが、一度きりの厳粛な儀式の場を借りてそれが行われるということは、僧侶の目線としては儀式・故人に対する尊厳を冒すものとして認識しております。
妥協案として上記・Bがよく行われておりますが、最近は相手を見てA方式を試みております。いまだ文句は一件もありません。従前にその意図を説明するからです。
電報を送る側のマナーとしては、弔意文の最後に
「披露は不要です」との一言を添えるとよい、と冠婚葬祭マナーのサイトに記してありました。ご参考まで。

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