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なむあみだぶつ
2010/11/29
「浄土真宗は“宗教”か、否か?!」
とある小規模な研修会での一幕。
私は「浄土真宗は宗教ではない」と宣言しているのですが、寺院関係者からは大抵びっくりされます。
この手の議論をする場合、
@ 用語の定義を厳密に定めてから話を進めていく方法
A 厳密な定義ではなく、一般的に理解されている意味で追っていく方法
がある、といえるでしょう。
もちろん、正確な話を求むれば@が正しいのですが、学者・センセイではない、より一般的な目線で、浄土真宗の宗教性を語る場合、@の中で非常に大きな意識のギャップが見て取れることをどう理解しましょうか・・・?
つまり、職場などで誰かに「あなたの宗教は何ですか?」と尋ねられて、
咄嗟に「浄土真宗です」 とは答えないのではないでしょうか?
「あなたの“宗旨”は何ですか?」と聞かれて
「ウチは門徒(浄土真宗)や、お西さんやで」
と答えるのは、至極当然のこと。
【宗教】と【宗旨】がごっちゃになっているんですね。
幕末〜明治初期は新しい日本のスタイルとせんがために、西洋文明を急速に取り入れました。「宗教」という言葉は東大の西 周(にし あまね)というセンセイがreligion という語を苦心して訳した言葉だったと記憶しています。つまり、江戸以前は宗教という概念がこの国にはなかったのです。単に寺であり、宮さんだったのです。
日本(人)は神棚と仏壇が共存することを象徴とするように、古くから「多神教」の風土であり、キリスト・イスラム・ユダヤ教のような「一神教」の風土ではありません。私が学生だったころは、多神教が前近代的文明の所産で、一神教的宗教がより崇高なるもの、という風情で教えられ、浄土真宗は多神教的風土の中で唯一、一神教的性格を有する高尚な宗教なんだ、親鸞は近代主義者だ、などと教えられました。・・・果たしてそうなんでしょうか?
現代では数多の新興宗教が反社会的な事件を誘発しましたので、負のイメージを未だに引きずっていると言えるでしょう。私も「宗教」という言葉が大嫌いであります。世間に疎い変わり者の集団というイメージがあります。
「浄土真宗は宗教である」、と主張される方の多くは、実際、熱心な念仏者であります。・・・が、往々にして融通が利かず、他の宗教・宗旨・文化・風習を見下す傾向があります。
浄土真宗を「宗教」よりも“緩やか”な「宗旨」であると宣言した方が、より相応しいのではないか、と思うのです。
翻って、「私の宗教は何ですか?」とお尋ねを頂きますれば、
「仏教;Buddhism;ブディズムです」、と答えるでしょう。
“浄土真宗教”なんてそもそもないのですから。
歴史・文化の中での仏教の位置づけ、仏教の中での浄土真宗の位置づけを把握し、自らを相対化せずして「浄土真宗は宗教である」と言われるのはいささか危険ですらあります。

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2010/11/20
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