2011/3/18
被災地での懸命なる救援・復興の最中、申し上げるべきでないことかもしれませんが、現在・仏教界でも注目すべき懸案事項があります。
すでにご案内のように、本年から浄土宗の法然聖人800回大遠忌・(浄土)真宗での親鸞聖人750回大遠忌法要の年なのですが、すでに浄土宗では1年延期、東本願寺では第1期を中止し「被災者支援」の集いを開催するとのこと。
さて、西本願寺はどうするか、ということなのですが・・・。
私は計画通りこの法会を修行すべきだと思う。
「無常」「一切皆苦」「朝には紅顔あって夕には白骨となれる身」を心に浸みての法要は大変に意義深い、と考えるからだ。国難とも言える災害を逆縁にして、真宗信心・念仏の教えを噛み締める絶好の妙縁と捉えることはできないのだろうか?
それを「延期」だとか「自粛」だとか言って誤魔化すのはよろしくない。こういう前例を作ると後々にも影響が出ることも危惧する。被災地の門信徒向けに特別に後日に開催するとよいだろう。
実を言えば、私はこのたびの750回忌法要には全く関心がなかった。東も西も、本願寺には立派な御影堂はあるが、親鸞聖人は居ないと思っている。
団体参拝するといっても、観光業界が潤うための京都観光ツアーに過ぎない。お参りの後にどこでお土産買って、昼は湯豆腐を食おうか、みたいな、ぬる〜〜い空気が蔓延しているからだ(あくまで、私の主観デス)。つまり、平穏な日々を送っていた人々に親鸞聖人の足跡を慕う云々、といってもまったく実感がないのが偽らざる現実ではなかったか? そんな「親鸞イベント」にいかなる意味があるのだろう?
このたびの惨事は偶然か?聖人が何かを訴えかけているのではないだろうか?今こそ念仏のときではないか?
北関東周辺は聖人が50代ころに錫丈された縁の深い土地だ。聖人の冥護、浅からざらんことを希う。

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