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なむあみだぶつ
2011/12/23
年の瀬迫る、今日この頃。
カレンダーの法語が心を打ちます。

喜怒哀楽の人生 仏法聴聞の道場
これはすばらしい法語ですね。
「道場」とは、坐禅を組む僧堂や、山寺の滝のことではありません。
まさに、この世界(娑婆;しゃば とも言う)に生きていくという私の足元そのままが道場なのだと、と言っているのです。非常に真宗的視点でもあり、禅的な発想かとも思います。出家も在家もないのですわ。
聴聞とは、仏法を知識として聞くのではなく、私のいのちの糧として聞くと言ってよいかと思います。
今年は3・11の東日本大震災ばかりが目立ちましたが、周囲の注目を浴びずに苦しみ、命閉じゆかれた方もまた多いことでした。
生きていくことの厳しさを痛感させられた年でありました。
どんな人間にも避けることの出来ないことは「諸行無常の理」です。
しかしそれを上手く受け止めていく生き方は出来るよ、と説くのが仏法でありましょう。
それがどういうことなのかは、残念ながら語句での表現はできません。
・・・何かを感じ取ろうとする心のアンテナを伸ばす、そういう努力を日々怠らないことが大事ではないでしょうかね。
ともあれ、
来年は明るくパーッといきましょう
「・・・経済的・物質的充足ばかりを追い求めてきたから、どうのこうの」・・・ありがちな高僧のメッセージですが、そんなこと言ってるからいつまでも停滞から脱却しないのです。精神と物質は表裏一体です。
はたまた日本人が美徳とする、右に倣えの「喪中」とか「自粛」とかいう発想は負のエネルギーが強すぎてどうにも苦手です。年が変わるのだから、悲しみは心に秘めつつ、心機一転、負を正に変えていくんだ、という強い生き方が今の私たちに求められているんだと思います。世のリーダーたる人物は今こそ明るい話題・方向性を示すべきです。
念仏思想にはそういう前向きな要素が必ずやあると思うんですがね。

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2011/12/18
お坊さんの営業車を考えてみましょう。
ま、国産の軽自動車が定番ですが、便利で安価でありますが、如何せん、愛着感(トキメキ感)がありません。電気自動車などはもはや白物家電・・・。
軽の電気自動車が登場すれば鬼に金棒でしょうが、グローバルな政治・経済・雇用等々を考えると、ある程度は石油も使ってやらないと、世の中のいろんな仕組みが狂ってくるものです。仏教徒でエコを提唱している人はそういうことをも考慮して言ってるんでしょうかね?
電気自動車だってですね、その電気を何処で作ってるんだって話になればいい加減なもんでしょう?・・・節電とは逆行するわけで。二酸化炭素がそんなに悪いのならば人間の息の根を止めればよいのです。
現在の一つの回答は、軽く小さい車体で、高効率なエンジンを使用する自動車がよいのではないかと思います。高効率なエンジン開発にはすさまじい進歩があり、そちらの方にこそ興味があります。
広〜い視点で興味深いクルマとしては。。。。。
BMWのイセッタ。なんと出入口は正面から・・・。

スマートクーペMHD
※今、一番欲しいクルマ。知的・禅的な感じがする。ステッカーチューン(装飾)が楽しみな車。

トヨタIQ コンセプトモデル
※IQには期待していたが、市販モデルは実にガッカリさせられた。車幅デカ過ぎ。都市部でのお参りには不向き。
・・・ま、法衣でもカメラでも、スポーツカーでも、トキめかないものは買わないのです。販売者側は、不況のせいにしないでもらいたいです。

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2011/12/8
お参りから帰ると、ちょうど某社の営業の方とかち合い、このようなチラシを手渡されました。

私は基本的に宗教の発展と商業の発展は不可分だと考えているし、歴史的にもそのような経緯をたどってきました。・・・たとえば越前や名塩(西宮)などでの『正信偈』『御文章』の流布と、和紙産業の普及とが不可分であったように。
しかし、かようなチラシを見ると、ギョッとします。
あまりにも物事を考えてないというか、ご本尊たる阿弥陀如来をパズルのピースにし、しかも遊技者に、「あみだ様を極楽浄土に導いてください」と指南するありさま・・・。
はたまた下のものは「かわいいしんらんさま」というストラップ。
・・・アブラ汗
各地のゆるキャラなどは、特に問題はないでしょう。
しかし、阿弥陀如来や親鸞聖人をキャラクター化するには、あまりにも節操がないと思います。が、すでに本山当局が親鸞聖人を公式にキャラクター化しておりますので、私のような考えは聞き入れてもらえません。
親しみを抱かせる各種のアイディアは結構なことです。が、いやしくも礼拝の対象をキャラクター化し、それが問題化されないというところに、今日の教団・僧侶の思考回路のユルキャラ化を指摘できましょう。
要はこういうことをやり出すと、先が短いということなのです。もう、私は知りません。

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