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なむあみだぶつ
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2012/5/31
これから汗ばむ季節、法衣も夏の装いに移っていきます。
で、結構、気になるのが、ハンカチ。

管理人は和のテイストが好きで、手ぬぐいを集めているのですが、そのままでは長いので若坊守に頼んで半分に切ってハンカチにしてもらいました。
・・・しかし仕上げてもらうのに2週間くらいかかりました。
忙しいようには見えないのですが・・・
とりあえず、【縫い子さん】が出来たのはありがたいことです。

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2012/5/20
今回は少し真面目な話をいたしましょう。
本願寺には「龍谷教学会議」という学術会議・学会誌があります。

・・・若坊守の雑誌に埋もれていました・・・(+_+)。
その最新刊・第47号の巻頭言に興味深い記述がありました。
詳細は字数の都合上、端折りますが、要は多方面で面々が研究されるのは結構なことだが、面々の立場を明らかにし、単なる真実の追及ではなく、仏恩報謝のための研究に徹せよ、とのお諭しです。
・・・極めて当然のことなのですが、仏教の研究には非常にやっかいな点がありまして、つまりは多くの仏教研究者は同時に「僧侶」であって、特に浄土真宗の場合、研究に不可欠な論理の追及や歴史的事実は時として受け入れられないという事情(圧力)が介在します。
インド仏教学の泰斗、故・宇井伯壽博士(東大)は『唯識二十論研究』の緒言にて、
仏教には宗祖や先徳に対して宗教的敬虔の態度の甚だ濃いものがあつて、誠に一美風となつて居ると考へられる。・・・先徳に対する尊敬も、心情の上からは景仰すべきであるが、学的研究の方面からは、尊敬しつつも、批判的態度を取るのを排すべきでない。
・・・ちょっと難しくなってきましたが、身近なところでいうと実は『観無量寿経』は、中国で作られた『偽経』であることが学術的に判明していることを、どのように受け取るべきか、ということです。
布教の現場では、阿弥陀如来の浄土を説くのに、この『観経』を引き合いに出すことの是非は如何か?といった類の問題が、少なからず出てくるのです。
私は以前からの【学術的研究】と【信仰のため、仏徳讃嘆の学問】とは峻別すべきであろうとの考えは、今のところ変えていません。
問題は、この両者の研究を行ったり来たりする、研究者の姿勢を問うべきではないか、と思います。そうしないと若い研究者・僧侶が将来の進路に迷うことにもなると思います。龍谷大などの宗門校で、学術的な立場で真宗学をする、というのが一番中途半端なことになってしまいます。その矛盾を自覚しているからこそ、今、龍谷大で「実践真宗学」という試みが始まっているのでしょう。
周知のとおり、本願寺では今春より宗派と本願寺を分離しましたように、やがては【大学でスーツを着て親鸞思想研究をする人;仏教学・宗教哲学】と、【本願寺で法衣を着て仏恩報謝の宣揚をする人;宗乗】との棲み分けが求められる時代が来て然るべきではないかな、と思います。

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