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なむあみだぶつ
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2012/9/29
近頃、【五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀如来像】という仏像が注目を集めているようです。
あまり聞き慣れない?
確かに極めて数は少なく、東大寺の勧進所、ならびに五劫院くらいにしかありません。
阿弥陀如来(如来=仏)の前身が法蔵菩薩です。

どうですか?実にユニークで愛らしいですねぇ。
これは法蔵菩薩が五劫という天文学的時間をかけて衆生救済の方法を思惟されたので、散髪にいく時間も惜しんだので、螺髪(らほつ)がボーボーになってしまった! ということを表すのがこの像の示すところです。
まるでアフロヘアー!・・・アイドル、とはまさに偶像のこと。

浄土真宗の主たるご本尊は立像の阿弥陀如来像ですが・・・、う〜ん、何と言いましょうか、・・・教義の味わいの面から言いますと、阿弥陀としてもう成仏しましたよ、という面よりも、今まさに衆生救済のために腐心されている菩薩像を拝してその苦労を偲ぶという面があってもよいと思います。
江戸期の宗学ではありがたい解釈がありまして、法蔵菩薩は無事、阿弥陀如来に成ったのですが(従因至果)、阿弥陀如来は法蔵菩薩が目指していた立派な仏としての位に安住することなく、再び菩薩の位に降りてきて(従果降因)、永遠に衆生救済の志を相続するというのです。
言うたらですね、大企業の社長が毎朝トイレ掃除して初心を忘れないというようなモンです。・・・違うか!?
つまり、阿弥陀如来は、永遠の法蔵菩薩たるがゆえに阿弥陀如来というわけですね。我々は如来の菩薩性にこそ、48の本願の本質を見るのです。
阿弥陀如来が過去の仏ならば、我々が救われる道理はありません。タイムマシンじゃあるまいし、過去からは現在の我々の苦悩が伺い知れないからです。
現在の我々が救われていく道理が立つ理由は、阿弥陀如来が今、法蔵菩薩の位をとっているからです。
・・・仏像ブーム、大いに結構ですが、姿・形の美醜にとらわれないでください。美術品と勘違いしないでいただきたいです。姿・形が何を表象しているのか、に心を寄せてください。僧侶はもっと仏像の意味を語っていただきたいもんです。

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