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なむあみだぶつ
2012/11/12
報恩講に限らず、法要には荘厳なるおつとめ(読経)がひとつの見物である。
他寺院へ出勤していて、昔から不思議に思うのは・・・
@ 喚鐘(半鐘のこと)
喚鐘は出仕する僧侶に対し、内陣への入堂を促すものなのに、鳴りやんでからようやく控室から出ていくのは何故か? そこでスムーズな流れが止まってしまうのはいただけない。

↑270年前ほど前の真光寺の半鐘
・・・鐘の音に緊張感を持たないのは平和な時代の象徴かいな?
A 導師が直登(ジキトウ)するのは許されるのか?
導師はご本尊正面の礼盤という専用席に登り、作法をこなします。その時、導師は諸僧と同時に入堂を済ませ、御代前1席(向かって左の一番手前)に座し、グルッと内陣を右回りに歩んでから登礼盤するのが正式です。
大方の一般寺院の法要のように、入堂から直接に登礼盤されるのは御門主に限ってのハズですが・・・。
B 控室でのドタバタ
お坊さんはとかく遠慮がちです。「どうぞ、どうぞ」と譲り合うのは基本、美徳なんですが、しかしですよ、年長のお坊さんならば、とっとと順に上座に座ってほしいのです。着替えの時なんか、年長者がわざわざ廊下に出てきて着替えを始める始末・・・。我々ヤングは玄関で着替えろとでもいうのでしょうか??!!
・・・問題点が問題視されない、年長者が口を出さないので、間違ったことが正しいと曲解されてしまう・・・
私は「文句」を言うておるのではないのです。
親鸞聖人の報恩講をキッチリと勤めたいだけなのです。

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2012/11/7
予報されていた雨にも遭わず、無事報恩講法要が勤まりました。
宗祖讃仰作法は、出勤法中(僧侶)の方々には、事前に練習していただいたおかげで何とか勤まりました。参詣の門信徒の方々もついてきていただきました。
ご法話は奈良・吉野の稲葉芳道先生で、七・五調でまとめられた和讃のリズムが日本人の語感に合致している、との興味深いお話をいただきました。
本山で制定された宗祖讃仰和讃は、ひろく一般化されるように願います。大法要の時だけ盛り上がる、というのがウチらの教団全体の悪いところでしょう。つまりは法要の円成(えんじょう)のみが【目的化】されてしまい、法要を縁として更に仏法の輪を広めよう、という意識が希薄なのです。法要はあくまで【手段】に過ぎません。
先日、某教区の宗会議員が、挨拶の中で、
「次の八〇〇回大遠忌法要に向かって今から動き出さねばなりません云々・・・」・・・反省の無いところに未来はあるのか!って カチンッ
、と来ました。中には「今から浄財集めかッ」とも誤解されるでしょう。
・・・えーと・・・話は変わりまして仏華
ありがたいことに若坊守の里の本堂の裏山から、たくさんにヒバなどの青葉をいただきましたので、ふんだんに使いました。

胴は鶏頭ではなく、カーネーション(赤と黄)を束ねたものを用いました。どの色の花をどの部分に使うのか、ということを強く意識しました。コントラストが美しく出て、整然かつ美しく・優しい、という仏法を私なりに表現してみました。
花そのものや、活け方の技巧を見せるのが仏華ではありません。仏法が満開であることを示すのが仏華なのですね・・・。
釋證眞クン、礼盤の畳が厚すぎるのはお許しを

・・・。

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