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なむあみだぶつ
2013/3/26
春のお彼岸に、真光寺信徒である戸田充代さまから、歌集を謹呈いただきました。
『花のかたち -戸田充代歌集-』 角川書店刊
今まで短歌に深い興味を惹かれた記憶はなかったのですが、一気に読むことが出来ました。大変すばらしい歌集です。
短歌や俳句をたしなむ方には、
@ 類稀な観察眼
A 日常を非日常に変換する感覚
B @とAを文字に置き換える語彙力
とが相まっておられるようです。
中には驚くほど仏教的な歌がありましたので2〜3ご紹介しましょう。
ひとひらの 花びら落つるそのさまも 人死するさまも 「散る」と言ふなり
坂の上に 何あらんかと登りては また坂のあり 坂のぼりゆく
眼を閉ぢて 耳を澄まして考へる 「闇」といふ字の 中にある音
特に3句目は、衆生が闇の中にありて聞く名号の声 に通じる法の味わい深いものとなっていますね。

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2013/3/23
今日は某家の満中陰法要。
当家の施主はまだ32歳。
母上が37歳の時に死別し、このたびは父上の急逝にての法縁。
施主の姉上は嫁いだ身であることから、若い施主は悲しみをこらえて当家の行く末をも案じて気丈に振る舞われていました。

最近ではご法事の場で、【施主のあいさつ】が めっきり無くなりましたが、当家の施主は読経と法話が終わるとおもむろに、
「一言挨拶させていただきます・・・」と、親戚方にご挨拶。
途中で言葉が詰まったので、ついつい
「気持ちは十分に伝わっていますよ」と横から口出ししてしまいました
。
この若い施主さんの行動に触れ、何だか清々しい気持ちになりました。
法話では、
「お父さんは亡くなった、居なくなったのではないんです、仏として生まれ変わったんです、存在してくれたことに感謝いたしましょう」・・・旨の話を目の前でよく聞いていただきました。
施主(家の当主)さんは、やはりこうでなければいけませんね。
ホスト役として親戚・僧侶を迎え、一番近いところで仏法に遇っていただく、ということですね。
ちなみに施主さん、足のしびれが限界で立ち上がった途端に、思いっきりコケたのは御愛嬌でした。

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2013/3/13
で、なぜ院号が高額なのか・・・?
みなさんも「院号とは」のキーワードでググってみてください。
どう説明されているのかというと
@ 隠居した天皇の尊称(「冷泉院」・「後鳥羽院」等)
A その人の建てた寺や居住した僧院の名前
といった説明が散見され、また「院」という文字には、垣根や塀に囲まれた大きな建造物の意味があります(「病院」「○○学院」等)。
・・・院号には皇族関係あるいは相応の私財を投じて寺院を建立したものの尊称として用いられてきたという歴史的経緯があることが知らされます。
だから私は先に院号は3〜5億円と申したのはこういう訳なのです。一つの寺を建立するには相応の土地代・本堂・鐘楼・山門・書院・庫裏・庭園の整備費用諸々がざっとこれくらいの経費になるだろうとの計算です。
これにプラス【仏法興隆の志が厚い者】でなければならないのは言うまでもないことです。
財力と菩提心を兼備した者が、院号を下附され、名乗ることが許されたのであります。
それが20万円だか100万円だかで何ができるのか、ということなのですよ。
というか、何もしなくていいんですよ。
そもそも「釋 ○○」の法名だけでいいんですよ、浄土真宗は。
今日、院号の価値はとんでもなく暴落してしまいましたから、希望者には仲介しますが私から院号をオススメするなんてことはありません。
・・・一つ提案しましょう。
現在、伽藍の整備・修復がままならないご寺院がたくさんあります。
そういう寺院と、院号を名乗りたい施主とを本願寺がマッチングさせ、施主に多大な貢献を促すのです。額面単位は「院号」の重みから「1億円」。話が成立すれば受け手の寺号をそのまま院号にして施主に下附するのです。本願寺は両者のお手次懇志として1割・1000万円くらい上納させれば、三者円満ではないでしょうか?
施主も寄進となれば税金対策になるでしょうし、コソコソと資産運用するよりかはバーンと出してしまえば、世の中の為にもなるし、自分の名誉心をも満たされましょう。それこそがまさに「浄財」なのです。出す者も受け取る者も心が浄められるのです。
財は時に人を惑わす汚いものですから、財を浄めて、仏法興隆のための下支えとなり、世の役に立たせるのが「浄財」であり、篤い志を遂げた者が「院号」を名乗ることが出来るのです。

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