ふと、ちょっと懐かしい感じのする先生のコラムが目を引いた。
宗教評論家 ひろ・さちや氏。

ひろは「フィロソフィー;哲学」のひろ、さちやは「梵語;サティヤ(真理)」から命名されているそうな。
この先生のおっしゃることは初心者には毒気が強すぎますら、仏教初心者にはオススメはしません。(管理人が高3〜大学1年の頃はかなりむさぼり読んで、宗教の守備範囲を理解したつもり)
表題にある、
生活の問題は政治へ
人生の問題は宗教へ
・・・大災害や生活格差などに代表される、生きることへの不安が高まる中、宗教が不安からの脱却を目指して機能するよう、種々に努力が為されておりますが・・・
それって、宗教の役割なのか?
と先生は問われる。
つまり宗教は“苦しみから脱却すること”ではなく、“たとえ苦しくとも、どう生きるべきなのかを考える”ところに宗教の立場がある、というもの。
生・老・病・死の四苦、などと説かれる仏教の「苦」とは、痛い・かゆいの苦しみではなく、「思うようにならない」ことを意味すると言います。人間は誰でも・いかなる状況でも思う通りにはならないということ。・・・このことはよく分かりますね。
ならば、そういうものとして「明らめよ(諦めよ)、現状をしっかりと受け止めて視点を変えよう」と説かれるのですが、それはやっぱりキツイ感じに聞こえますよね・・・。
でも、それを堂々と、さらっと言える人が本物の宗教者だと思います。
宗教は「人生のクスリ」の意味合いがあるとも思いますね。クスリだから基本、毒なんですね。
毒はさじ加減で妙薬となります。
明日は午後から上洛し、シンポジウム拝聴に行ってきます。
【現代社会の・・・】ってよく使われるフレーズですが、社会問題の解決策は宗教の領域ではなく、やはり政治だと思うんですけどね。宗教者は即物的な対応よりも、人生根本の問題に深く・長くじっくりと取り組むべきだと私は思っています。
まだ聞いてないけど、たぶん以下の内容は、宗教という名のサプリの話なんだろうと思います。誰でも聞きやすく、可も無く不可も無く・・・っていうような。
え?“実践”真宗学ですか?
学生はまず座学をしっかりやるべし。本をしっかり読みたまえ。基礎の無い実践は危険ですよ。
【龍谷大学大学院 実践真宗学研究科 公開シンポジウム】
「現代社会の苦悩に寄り添う-宗教者に求められているもの-」
現代社会において、寄り添い・傾聴・支援などのさまざまな活動を展開している宗教者がいます。そのバラエティに富んだ活動を紹介しつつ、現代社会の中で、宗教や宗教者が何を求められているのか、それにどのように向き合ってゆくことができるのか、またどう行動すべきなの
かということについて宗教学・報道活動・仏教者とそれぞれの分野でご活躍中のパネリストに聞くというシンポジウムです。関心のある方は、お誘い合わせの上、ご来場下さい。
■日時:2013年11月21日(木) 15:00〜18:00 (14:30より開場)
■会場:龍谷大学アバンティ響都ホール (京都駅八条口 アバンティ9階)

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