ようこそ真光寺ブログへ。
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なむあみだぶつ
2013/12/29
ブログネタが無くなると仏華を掲載する釋世雄です。
今回は小ぶりの葉牡丹が重宝しました。全体的にも小ぶりとなったのが反省点ですが・・・。
これでお正月の準備も9割ほど終わりました。
ホンマに、華を活けるとホッとします。ヤレヤレ・・・

さて、今年もみなさん、お疲れさまでした。
来年の計画はもう立てられましたか?
綿密な計画・強い願いはほぼ実現するといってよいでしょう。法蔵菩薩も四十八の本願(誓い)を立てられ、成就して阿弥陀仏と成りました。因はしかるべき結果を招く(因願酬報)、それが仏教の原理です。
人生、思う通りに成らないことも多々ありますが、日々の些細な瞬間を大事にし、人とのつながりを大切にすれば、実は思い通りになるのです。願いを明確にすれば、希望は半分以上実現したも同然です。独りよがりではない願い、周りの者をも幸せにする願いは大いに立てるべきでしょう。
法蔵菩薩の兆載永劫にわたる苦難の行は、実に強い願いがあってこそ成就されたのであります。
なのに神・仏に祈り、頼るという行為は因果の法則に反するため、全くムダなことになります。横着して「棚からぼた餅」、の感覚で神・仏に祈るヒマなんぞあったなら、寝ながらでもいいから具体的な計画を練れ、と私は言いたい。神・仏の前では誓いを立てるのです。
なんだか自己啓発セミナーみたいなことを言っているようですが
、あらゆる場所を浄め、年を新たにして仏祖の御前にて決意を新たにする。それが正月というものでしょう。

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2013/12/14
今年もカレンダー配りがほぼ終わりました。
12月に慌ただしい思いをするのはイヤなので11月から年末年始の準備を始めております。
さてさて寺院から配られるカレンダーはいろいろあるのですが、この『ほのぼのカレンダー』が好評のようです。文字通り、ほのぼのした日本の原風景が描かれ、法語の添え書き(いや、絵が添えなのか?)がまた良いですね〜
。

このカレンダー、大安・仏滅などの六曜が記載されておりません。
六曜を気にする方々がいまだ多いのですが、六曜は明治初期に旧暦から新暦に変わったときに、混乱を避けるために暦(こよみ;カレンダー)が売り出されたそうなのですが、イマイチ売上が悪く、誰かが暦に六曜を書き入れたら、なぜか売れ出したのだそうです。
以来、六曜の迷信が根強く残ることになるのですが、もともと中国の戦術の占い、ひいてはバクチ打ちのゲン担ぎに他ならず、勝負事にはどの日が良いのか、を目安にするために作られたのでした。
戦術・バクチですから「先勝」があり「先負」があるのです。
勝ち負けがあれば引き分けもあるはずですね。それを「共引(ともびき)」と言います。
え?!「トモ引」の字が違う? いいえ、「共引」が正しいのです。
どこかの誰かが「友引」と書き換え(故意に?)、この日に葬儀をしたら親しい友が道連れにされる、となったわけです。まったくのナンセンス(無意味)です。
え、何?「仏滅」ですか?
これも書き間違いですよ。
正しくは「物滅」です。物事が成就しない、物が壊れる、それを「おシャカになる」ともいいますが、それを仏滅といったのでしょうか? だいたいですね、仏は永遠・常住ですからそれが滅するとかはあり得ないんですわ。
仏教ではひとつひとつの言葉を大切にします。
言葉を「オモチャ」にするものではありません。
スキッとした空白のカレンダー、気持ちがいいもんです。
いい日にするも、悪い日にするも、自分の心掛け次第。
仏教はなんて合理的で主体的な教えなんでしょう!!
Make your day!(楽しんで!)
人生は短いのです。
六曜ごときで行動を縛られずに楽しい毎日を過ごしましょう。

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2013/12/4
去る11月24日・12月1日の両日、続けて【真光寺仏教文化講座(対象;門徒のみ】を開催いたしました。今回は第3・4回です。
テーマは「浄土真宗の葬送儀礼」です。

A4・10ページのレジュメ、気合い入れて作りました。
寺院の法要行事に参詣されない方々でも、いざ葬儀となると否が応でも関心を示さざる得ないでしょうから、このテーマ設定にしました。
・・・実のところ出席が少なかったのですが(会社の休みにと思って日曜に開催しているのに・・・)、資料を全門徒に配布しましたので、欠席の方にも読んで頂いたようで「分かりやすい資料で有難いよ」との声をいただき、住職は喜んでおります
。
講師を招聘して同様の講座を開催することも可能ですが、やっぱり住職がこういうことをすべきだと思います。
「ウチの寺の住職はいったい何を考えているのか」、の方向性を門信徒に示すことはとても重要だと思っております。
いい意味において、私のやりたいようにさせて頂きます。他の寺院との協調とか足並みを揃える、なんか考えておりません・・・いや、全くではないですが、最近つとに思うのは、寺院間での温度差が激しいということですね。かける手間暇と実益がプラスにならなければ、協調関係は築けないということです。

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