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なむあみだぶつ
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2014/3/17
法事、年忌とも言いますが、故人の○回忌を縁にして、仏法に親しむイベントです。
特に信仰が篤くなくても、寺の行事には参詣せずとも、ほぼ必ず勤めてくださるのが法事です。
ある牧師さん(キリスト教の人)が言いました。
「お寺サンはいいですね、月参りや法事などを通じて布教できるのですから・・・」
・・・これにはハッとさせられましたね。近・現代では宗教は個人に依るとしながらも、家単位でのイベントが残っており、その機会を利用しない手はないわけです。「宗教は個人に属す」、とかいうお坊さん、欧米でお念仏を広めてください。
また、法事には御当家の親族(他宗の人も)も多数こられるわけで「ここは浄土真宗の宗意宣揚っ」といわんばかりに、住職の気合いが入るところです!
一方で、参列のお方も手ぐすね引いて私を質問責めにされる方もおいでです。
昨日もお仏壇の上に掲げられたる、前門さまご染筆の扁額「無量寿」を見て、
「お住っさん、これは帰命無量寿如来の無量寿でっか? 無量、いうたら億・兆・京・・・と数続く、一番大きい、あの無量ですかいな?」
「ええ、仰る通りですよ、インドは今でも数学の国で、考え方もスケールが大きいのです。人間の有限の寿命を超えて、無量のいのちを阿弥陀様から頂くんですわ。無量寿、っちゅうことは、もう二度と死なないということです。ここのオバアちゃんは死んだんと違うんです。浄土に生れたんです。せやから法事は誕生祝いっちゅうことです。
『阿弥陀経』に“恒河沙数諸仏”とあるのは、ガンジス河の岸部の砂粒ほどの仏がいらっしゃるということですよ、日本は八百万(やおろず)の神、くらいの単位にとどまりますがね、無限という考え方が無い・・・まぁ何せスケールが違うんですよ、スケールが。」
そうしたら隣の若い主人が、
「インドはゼロを発見した国でしょ、ギガ・テラ・ペタも大きい数やね」
てなことを仰る。
すると、隣のおばちゃんが、
「人間の90年・100年なんてあっという間やなあ、ちっぽけやなあ。」
「そうです、アッと言う間の人生やからこそ、みんな協力しぃもって、仲良ぉせなアキマへん。94歳で亡くなったここのオバアちゃん、あっという間の人生やっ、て言ってはりましたよ」
・・・ささいなやり取りと思われるかもしれませんが、これで法事の法話になってるんですよ。
法話は坊さんが上から話すことじゃあない。参列者の興味を引き出して、明るい方へ導くことです。・・・気構えて法話をしても全く伝わらないですね。
気さくに、雑談そのまま法話、というのがナニワ流説法ということで。ナニワ流は参列者を上手に利用して、ライブ感覚にさせるのです。みんなウマイこと乗ってくれはりまして、大阪はまだまだご法義繁昌の可能性があるなぁと思いながら、紙袋一杯のお供養をバイクの前カゴに満載し、フラフラになりながら帰ってきました。
今日は色んな意味で有難い仏事でございました。ナンマンダブツ・・・。

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2014/3/12
というわけで、仏教文化講座「温泉療法と健康」が無事終わりました。K先生からは懇切に、分かりやすく温泉の効能の科学的根拠をご説明くださいました。

面白いなぁ、と思ったのは、
【交感神経(激情型;横山やすしタイプ)】と【副交感神経(鎮静型;南海キャンディーズのしずちゃんタイプ】の話で、人間はどちらに偏ってもいけないのだそうです。このバランスを崩すことを「自立神経失調症」というのだそうです。
温泉はこれらどちらかに偏っている神経の方向性を是正する効果があるらしく、リラックスのみに理解されがちなのですが、シャキッと活動的になる効能もあるということらしいのです。
・・・強引な解釈ですが、お念仏の効能といったら変ですが、宗教が人格に与える影響というのも【交感神経】と【副交感神経】のバランスに似ていて、カッカする人を落ち着かせ、沈みがちな人を勇気づけるという効果があるのかもしれませぬ。
「何の為に寺に参るのか、法座に参加するのか」という問いは、教団の近代化の中で議論されてきましたが、イマイチ明確な答えは出ませんでしたので、一つの回答としては医学的・精神療法的な側面から説明しても分かりやすいのかな・・・と思った次第。
そうそう、しばしば「門信徒は通院患者、寺族は入院患者」といいますよね、一番煩悩の深い者が寺に生まれ、阿弥陀仏さんの加療を受けるわけです。住職なんかICU患者ですわ!
仏教の教えは「私の心を見つめる」というところに集約されましょうか。知っているようで知らない私に出会っていく、怒りや不満の矛先を自分に向けてみる、といった現状分析などは実に科学的ですらあります。
医学の考え方と仏教の考え方、どこかで大きな接点があるように思います。
あたたかい温泉に入ったら「あぁ、極楽、極楽」と言うではありませんか!
おあとがよろしいようで。。。

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