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なむあみだぶつ
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2014/9/29
今日は早朝より立て続けに訃報のご連絡。
同日・同時間に通夜式・葬儀式のご要望があった為、あいにく後からご連絡頂いた方には御無理を申して、1日伸ばしていただきました。
その、伸ばして頂いた方は臨終勤行をご希望されましたので、先ほど行ってまいりましたが・・・。
お電話を頂いたときは60歳くらいの喪主さんからお電話があったので、てっきりそこのおばあさんが急死されたのか、とずっと思っていたのです。・・・何分電話ですから詳しいことは聞きませんでしたので、簡単な打ち合わせだけして、いざ臨終勤行(葬儀会館)に出向きますと、私の頭の中で亡くなられたハズ!のおばあさんの姿が一番に目に飛び込んできたのです・・・。
「・・・え!?」
そう、亡くなられたのは53歳のお嫁さんの方だったのです。
なかなか電話で誰が何歳で亡くなったのか、などは聞きにくいのでこのように現場で初めて状況が分かることは多いのです。
しかしながら、住職、人前では「人のいのちに明日も、ということはない、順番通りに往ってくれれば幸せだ」などと吹聴していることが恥ずかしい限りでありました。「年長の者から亡くなる」という思い込みにどっぷりと浸っていたのでした。
明日、明後日は精一杯の御弔いをさせて頂きます。
一日伸ばしていただきましたが、「少しでも長く奥様の美しい容貌を目に留めていただきたい」との言葉を残してその場を後にしました。

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2014/9/24
先に、仏典翻訳の問題で「本願」か「誓願」か・・・という記事を上げましたが、学生時代に読んでいたこの書物をご紹介しましょう。

藤田宏達『原始浄土思想の研究』岩波書店 昭和45年刊
ここには普段目にする浄土教用語の原語についての論考がなされており、必読の書と言えましょう。“親鸞教の信者”の方はこういう本を読む必要は全くありませんが、“大乗仏教としての浄土真宗”に興味のある方々には当書を契機に思索を深めていただきたいものです。
我々が普段目にしている経典は“漢訳されたもの”です。
『仏説無量寿経』は原語では「スカァーバティービューハー スートラ」と言います。
ブラマヨの「・・・ヒーハー」ではありません。
「スカァーバティー・・・」の訳本は『無量寿経』が代表的ですが、他に『大阿弥陀経』『無量寿如来会』『平等覚経』『大乗無量寿荘厳経』など、数々の異譯(=訳)本があるのです。
ですから、『無量寿経』では「本願」と訳されていても、その異譯本では違う語句になっているのです。
今日では幸いにその比較研究が出来るわけですから、新たな浄土教解釈(教義は普遍だが解釈は異ってくる)が出てきて何ら不自然ではないのです。誰かがまったく新しい譯本を作ってもよいのです。・・・うん、なぜそれをしないのでしょうか??
仏教を突き詰めていくと、必ず「言葉の問題」にブチ当たります。
「一言一句正確に読み解いていく・・・」といいますが、それが原典でない限り、不毛な議論です。いや、むしろ言葉自体に拘泥して迷いを深める懸念があります。
親鸞聖人も「化身土文類」に引用されておいでですが、
『大智度論』に「今日より法に依りて人に依らざるべし、義に依りて語に依らざるべし、智に依りて識に依らざるべし、了義経に依りて不了義に依らざるべし」と。・・・・「義に依る」とは、義の中に好悪・罪福・虚実を諍うことなし。かるがゆえに語はすでに義を得たり、義は語にあらざるなり。人、指をもって月を指う、もって我を示教す、指を看視して月を視ざるがごとし。人、語りて言わん、「我指をもって月を指う、汝をしてこれを知らしむ、汝何ぞ指を看て月を視ざるや」と。これまたかくのごとし。語は義の指とす、語は義にあらざるなり。
とあります。
かくして「義に依りて語に依らざるべし・・・」
「義は絶対、語は相対」ともいえましょうか。
仏教はたまらなく面白いですね!?
・・・今から会議なんで今日はこのくらいに。

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2014/9/18
ブログ更新が滞っております・・・。
実は去る9月11日に住職は第2子(男子)を授かり、ここ2週間は怒涛の毎日を過ごしております。坊守は長男を置いて、実家に帰省中であります。

で、名前は「唯(ゆい)」と申します。
皆さま、今後ともよろしくお願いします。
長男は「慶(けい)」と言いますが、唯という名も親鸞聖人の『教行信証』「総序」の文から頂いております。私の「世雄(せいゆう)」も「総序」にあります。
・・・なんという有難い【華麗なる一族】なのでしょうか・・・。ドラマと違い、父親は確かですよ
。
長男より毛が多く、父ちゃんはちょっと喜んでおります。
世の為、人の為に尽くしてくれるような人間になってほしいです。
・・・昨日は「出生届」を歩いて3分の区役所に出しに行きました。
世間では仕事を始めたときに「社会人になる」と言いますが、20分程度の諸々の手続きを終えて戸籍に登録されると、この子も「社会の一員」になったんだな、と親として新たな責任感を感じて帰宅したのでした。
お蔭さまで真光寺はにぎやかになりそうです。
早速、子どもをダシにして新たな寺院運営を模索しているところです!

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