ようこそ真光寺ブログへ。
初めてデザインを変更しました。
目指せ1000記事投稿!(2021・2月1日現在918本)
なむあみだぶつ
2014/12/27
幸いにして浄土真宗関係のカレンダーは毎年様々な種類が発行されます。

ネット上のサービス等を利用してオリジナルのカレンダーも簡単に作成できるようになりました。
門前の掲示板の中にもカレンダーを掲げていますが、それを見る人はとても多いのです。
寺の門をくぐり、寺の門信徒になり、法座の案内を受けて実際にお参りになる方々の割合というのは微々たるもので、ましてや新しいご縁の方が門をくぐられる、ということは実に「難中の難」なのです。
まさに門の外にある掲示板を利用することに我々はもっと重要視した方がよいでしょう。
そういう意味において、中央から発信される情報や法座の案内はもうすでに門内・堂内に居る人(信心のある人)にしか相手にしないもので、まったくと言っていいほど現場の教化伝道の役に立ちません。
いかにして安易で短い言葉を紡ぐのか、・・・現場の試みは続きます。
さて、今年の5月には宗門の教学の碩学である梯和上が往生なさいましたが「行信教校」から発行されている『一味(いちみ)』という機関誌の山本摂叡先生のコラムに、和上最後の講義の日とされる、このようなエピソードが紹介されておりました。
専精舎の論題(つまりは教学問答)について、「いまはもう寺がなくなる時代なんだ。こんなことをしていてよいのか」という意味のお話をされていた。(『一味』737号・17頁)
・・・と。
この言葉に驚きと戸惑いを隠せない人は多いでしょうが、個人的には「和上の炯眼、ここに極まれり」と首肯せざるを得ないのでありました。
今年は信楽先生や稲城和上など、時代を作ってこられた高僧が相次いで亡くなられた年であると同時に、ご門主も若き専如門主が継承された大きな節目の年でありました。
これからいろんな意味でやりにくくなるだろうなぁ、と思います。
浄土真宗の教学には最早やりつくした感が否めず、社会への対応というのも何分中途半端でもありました。儀礼においても伝統的なものと新しい感覚との接点が未だ見いだせず、いずれも一部の教学マニア・運動家・儀礼オタクの自己満足の域を出ないと思われます。
目下、私の関心事は門前を素通りする人々に、ほんの少しの関心を短い法語に向けて頂きたい、そして宗教・宗派云々はどうでもいいから、同じ時代・社会をともにする者同士、心に潤いを持っていただきたい、と願うばかりであります。
皆さま、来年もご笑読よろしくお願いいたします。
佳き新年をお迎えくださいますように。 南無阿弥陀仏。

6
2014/12/19
目下、年賀状作成中。
住職になって、または先代がいなくなった理由から、お付き合いの幅も変化していきます。
・・・先ずは名簿の整理です。

結構、大変な作業です。子どもの世話もあり、また坊守の目も気になり、書斎に籠ることができないので、生活空間での事務作業が続きます。
都合、私用分も含めて800枚以上作成いたします。文面も相手に応じて3〜4種類制作しています。目上の方や門信徒向けに家族の写真入りは公私混同と考えていますので。
年賀状リストはエクセルにて管理していますが、郵便番号等の入力間違い等が依然多く、皆様には失礼があるかと思います。
また、かつては気軽に友人としてお送りしていた方々が、皆徐々に住職・坊守さんに昇格(?!)していきますので、分類として「友人→寺院」への変更が年々増えていくのも、これまた嬉しいことですね。
30代後半から40代での住職継職・坊守交代、いい感じだと思いますよ。
諸般のご都合で70代以上の現役の方も多いことですが、世間一般の法人代表者との世代のズレが懸念されるところです。私もあと30年くらいでキッパリ退く所存です。
結婚した年が遅かったので、計画がずれることは必定でしょうが、子どもたちには早めに結婚させなければなりませんねえ。・・・一にも二にも計画です。
年末年始は我が身の動向をうかがう、良い機会でもありますね。

2
2014/12/15
今年も日本漢字検定協会(でしたか?)主催の「今年の一字」が清水寺の管主の揮毫により示されました。
今年は「税」です。
「税は民主主義の根幹」と言って、総スカンをくらった元総理がいましたが、これは実に正しい発言です。絶対王政から民主主義への過程を・・・まぁいいか。経済の分からない政治家が多すぎるのは日本にとって非常に危ういことなのですが。
大した意味もなく、住職も揮毫してみました・・・。

たぶん、テレビを見ていた数十万人もの人々が「坊主は税金払わないのに何書いてんだ!?」と思われたことでしょう。・・・なのに「神主や牧師は丸儲け」とは言われませんね。これは差別ですよ、差別!。
僧侶は税金払ってますから!!国民として当たり前のことです。
非課税なのは宗教法人における布施収入や寄進に限ってのことで、寺で駐車場経営などの収益事業を行えば課税されます。
お布施は断固、僧侶の収入ではありませんし、僧侶は個人であって法人ではありません。
はたまた、非課税の法人はざっと挙げるだけでも宗教法人以外に『財団法人』『社団法人』『学校法人』『社会福祉法人』『更生保護法人』などがあります。・・・詳しくは財務省のHPを。
これら非課税扱いになる最大の理由は、「法人の公益性」があるからです。お寺を例にとれば元は檀家が支えてきた共有財産でもありますし、寺での儀礼や説法は人々の不安を解消し、現世生活での連帯感や生産性を向上せしめたことでしょう。
美しく整備された境内は街行く人の一服の清涼剤としての役割を果たしていることでしょう。
こういう点に今日でもお寺にある種の「公益性」を認めうるでしょう。
しかしながらどこにでも悪いことを企む連中が潜むもので、非課税法人を悪用する者が後を絶ちません。これは国家による監視の目を外さないことが大切であります。宗教法人とて治外法権ではありませんから。
世間では上のことを知ってか知らずか「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とも言われ、何かと肩身の狭い思いを強いられているのが我々の実状です。まぁ、何かと目立つのは分かりますがね。そういう風に言われないように身を律していくのが僧侶に求められています。
・・・なのに、なのにですよ、伽藍の維持整備や仏具を新調すれば「またイジってんの!?」と家族や親族にまでイヤミを言われるワタクシ。お布施の中から阿弥陀さまの伽藍を整えていくことの、一体何が悪いのでしょう?
宗教法人と経済について、言いたいことは山ほどあるのですが、読者には刺激が強いと思いますので、今回はこれくらいにしておきましょう。

5
1 | 《前のページ | 次のページ》