ようこそ真光寺ブログへ。
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目指せ1000記事投稿!(2019・10月6日現在872本)
なむあみだぶつ
2015/1/24
昨日は愚息の2歳の誕生日でした。
無事に大きくなってくれて、言うことはありません!
が、今後の展望としましては・・・、
@ 礼儀を大切に(人間性の基本だから)
A 自然科学への関心を持ってほしい(仏教体得の前に学ぶことは多い)
B 戦隊モノのテレビ・おもちゃから距離を置く(暴力肯定・二元論者になるから)
などという父親の煩悩が出ておりまする・・・
・・・無事に出産をこなし、育児に励む坊守に感謝しています。


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2015/1/11
掲示伝道法語です。
「ありのままの〜」が流行りましたが、アニメの歌はよしとして、ありのまま、とか、そのまんまの、とかいう言葉は、浄土真宗でも多用されることでありますが、誤解を招き得る言葉ではないかな、と思います。
『歎異鈔』に出てくる造悪無碍の邪義にも通ずるような、自己の全てを肯定してしまうということは、裸で街に繰り出すようなもので、動物の世界ならいざ知らず、人間社会においては切磋琢磨の精進が念仏者にも必要とされるところです。
精進(自己努力)は自力だから、他力を謳う浄土真宗とは相容れぬとか言われる人が今でもいますが、他力という言葉は往生浄土にのみ適用される概念で、日常の生活規範・行動様式とは何らの関係もありません。
人生の酸いも甘いも知った老人の境涯ならば、深く首肯出来る言葉ですが、若い連中が「ありのままの私が好き」などとほざいているのを聞くと、ドツイたろか?とおもいますね。思ってても言うな!
自己のあるがままの姿は阿弥陀如来の光明によってうかがい知らされます。自己に絶望して如来の仰せのままに生きる、ということが念仏者にとっての「ありのまま」の世界です。
自分の本性がそんなにも可愛いのでしょうかね?
・・・法語の最後の部分、落とし穴のアナを、アナと雪の女王に掛けてみたのですが気づくかな??


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2015/1/8
liberté d'expression
・・・表現の自由、ですか。
フランスで起こった新聞社へのテロ事件。
世間ではテロリストへの非難が続きますが、その原因がイスラム教を風刺するものであったといいます。特に漫画技法を用いた預言者・指導者の擬人化は偶像を禁じるイスラムの常識からは到底受け入れがたいものだと同情します。
フランスは特に自由を重んじる国ですが、・・・パリに何度か行った経験から言わせて頂くと、実に有色人種が多く、もちろんアラブ系の人も多く、彼らは大抵、低所得の職業に就き、言いたいことを言える場がなく、一部の白人社会の底辺を支える大多数の人々であるとの印象が強く残っています。ブランド品がひしめく華やかなイメージは実はほとんど無いんですね。
滞在中にはあちこちで一部の白人社会の自由の犠牲になっている悶々としたエネルギーを感じました。
そういう光の当たらない社会層にこそ宗教の存在意義があると言えるでしょう。そういった最後の砦である宗教をバカにされる言動にはとても敏感なんだということを分かろうとする、ほんの少しの学びと優しさは無いのでしょうか? 銃撃という方法論は間違っているにせよ、彼らをそこまで駆り立てた背景は何かを明らかにする必要があります。
自由、自由と言いますが、自由であるからこそ、異文化への尊敬の念や節度が必要とされるのではないでしょうか?
特にマスコミ・出版関係の人間は自分が社会に大きな影響力を与えていると陶酔しているのか、朝日新聞の問題も然りだが、どうも勘違いしている人が多い。誹謗中傷が好きな読者も責任を有するでしょう。
自由に言葉を使って表現できない、底辺を支える人間の忸怩たる思いを深く知るべきです。
思うに、自由とは【自らに由る】と書きますが、この不確かな自分を拠り所として生きることの恐ろしさを感じますね。人間は多少、不自由・逆境にあった方が良いのです。
皆さんの周りで自由を謳歌する人って、尊大で傲慢なヤツが多くないですか?
何かと不自由を抱いている人こそ、人には優しく出来るんですよぉ😧

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