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なむあみだぶつ
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2015/7/27
東京オリンピック・・・。
国立競技場のすったもんだを端緒に何やら暗雲が立ち込めているような気が・・・。
@ 開会式が7月24日
前回東京五輪はご存知10月10日。この日はもっとも晴天率の高く、穏やかな日として選ばれたように記憶しております。
しかし、今回まさかの7月・・・。猛暑や台風、ゲリラ豪雨の心配はないのでしょうか?・・・邪推するに、日本人メダリストを沢山輩出しやすいように、ロシア・アメリカ・欧州などの寒冷国の活躍を阻む意図があるでしょう。もう一つは視聴者もガンガンクーラー効かせて視聴するでしょうから「ほれ、やっぱり原発、要るでしょう?」という風潮を産むためか?
A 公式エンブレムについて
招致につかった桜の五色の輪で良かったと思いますが、まさかのロゴデザイン。画像を貼り付けたらまたウルさそうなので、以下NHKにリンクです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150724/k10010165211000.html
仏教徒として気になったのが、タテに走る黒い帯のデザインの解説です。
“すべての色が集まって生まれる色の黒で「多様性」を表現し、さらに大きな円で「1つになった世界」” を表しているのだそうです。
・・・ん??
絵具のすべての色を混ぜ混ぜしたら、黒らしき色になりますが、それは結局「彩度」が低いとされる強い色に飲み込まれるということで、そこには「多様性」なんかありません。むしろ弱肉強食の世界だと思います。
ご承知のように『阿弥陀経』には、浄土に咲く花を評して、
青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光
とあります。これは「青い色は青に光る。黄色い花は黄色に光り輝く・・・」ということに価値を認めうるのであって、混ざり合ってどうこう、という世界ではないのです。
世の中を見ますと、価値観の共有だと言っては、結局は強者が弱者を力で丸め込めますよね?強者が定める多様性は、多様性ではない。単一性です。価値観は夫婦でさえ共有できないのですから、いわんや世界間でなんてね?
B 関東大震災・富士山噴火は?
もう東日本大震災は記憶から遠ざかりつつあります。次は関東大震災・東南海地震が再来するでしょう。最近のオリンピックの浮かれようときたら、どうでしょう? 地震・噴火の危険性の事は何もいいません。これは怖いことです。津波で湾岸の競技場はエライことになるでしょう。日本人は戦争の事もそうですが、ある種「物忘れの天才」です。だからこそ前向きに発展してきたともいえるのですが。。。
エンブレムの黒い帯は、最初に見たとき「喪章」に見えました。これは不吉ぢゃ!サッカーのFIFAが汚職でこれまた大問題となりましたが、五輪のエライさん方なんか、ケタ違いのお金が飛び回っていることでしょう、こういう「黒い疑惑」をも表現しているんですね、なるほどね。
ひとたび事が起これば「想定外のことでした」の一言。思えば便利な日本語が出来たものですね。
皆さん、オリンピックみたいなアホな行事に騙されてはいけません!

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2015/7/17
今日は夕刻より大阪教区教務所(本願寺津村別院=北御堂)にて、『大阪教区寺院の“未来と葬儀”‐データを活用して-』と題する研修会に参加してきました。

前回のブログにてご紹介したように、将来は人口減に伴う諸問題が寺院を取り巻く環境にも大きな影響を与えるということで、喫緊の課題といたしましても、葬儀の簡略化や従来の地域住民と寺院との関わりを超えた、新しい形の仏事の台頭(仏事の商業化)など、その対応を考えざるを得なくなりました。
その対応を教区レベルで考えようとするのが今回案内のあった研修会の意義であると思ったのですが、・・・かなりがっかりしました。
と、言いますのも、総務省統計局や国立の人口問題研究所のデータを列挙して20年先の人口分布を紹介されたのまでは良かったのですが、では、現状を踏まえてこれからの葬儀はどのように変化していくのか、といった肝心の話がほとんど最後まで語られなかったのは、何て言うか研修会の体を為していない、と言わざるを得ないものでした(・・・結果、抗議の意を込め途中退席しました。)。
大阪教区内の各市町村の細かい数字を見るまでもなく、近い将来人口が減ることは誰の目にも明らかなのに、延々とその話ばっかりだったのです(わかっとるちゅうに!)。ただし、ひとつ勉強になったのは大阪市内では「核家族」よりも「単身世帯」が増加しているということでした。今後身寄りの全くない人の葬儀、が出てくることでしょう。
ご法義が伝わりにくくなっていることなどへの危機感なんか、全く感じられなかったのです、教務所からの案内状にはそれらしいことを書いてくださっていただけに、がっかりなのです。
・・・皮肉な言い方をすれば、これが寺院を取り巻く現状なんですよ。
従来のやり方が変わった、人々の意識は変わった・・とは言いつつも、自分(僧侶)らは変われないし、そもそも変えたくは無いということなのでしょう。僧侶ほど頭の固い人種はいませんからねぇ。
未来に向かう世の中の流れとは、私たちが人間という生物である以上、【自然淘汰】に依ると考えます。このような研修会を開こうが、何しようが未来はほとんど変わらないのです。自然の摂理には抗えません。
つまり環境に適応した強い個体が生き延びるというもので、「弱肉強食」とまでは言いませんが過疎地にある寺院はいずれ無くなるであろうし、やる気のある僧侶のいる寺院は組や教区の枠を超えて活躍されるでしょう。
また、気になりましたのは、この種の研修会においては若手の僧侶が圧倒的に少ない点でした。これからの寺院を取り巻く環境に不安がないのでしょうか?? 未来を語る場に60歳以上の人は来るなよ!?
本願寺を代表される某お方は「まだ今の段階なら間に合う」として意識改革を促されておいでですが、残念ですが早い・遅いの次元の問題ではないでしょう。個別の寺院を取りまく現状は組や教区において美化されて本山に上がっていきますので、本当の姿はご存知ないのでしょう。
・・・という訳で、改めて私の自らの視座と責任において、真光寺に関わるすべての方々へ感動を与える仏事を執行し、ご法義(真宗の教義)の流布とさらなる寺院の発展に尽力しよう、と誓いを新たにしました。
ヨソの寺のことは知りませ〜ん。関係ありませ〜ん。

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