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なむあみだぶつ
2016/1/22
去る1月21日(木)、本願寺堺別院に第25代専如ご門主がご巡拝にお出ましになられました。
このたびの法統継承を受けられ、本年より厳修される『伝灯奉告法要』への機運を高めるために、全国の本願寺の別院を巡拝されるものです。
真光寺の属する「天野南組」など近隣の6組?だったかな・・・は、堺別院の崇敬(ソウキョウ)寺院として別院を物心共に護持する役目を担っております。大阪教区は教務所のある「津村別院」「尾崎別院」と三つも別院を擁する教区なのです。
住職は、今回の企画・運営委員を務めておりましたので、ご門主と年の近い若手の方々と共に、企画立案に携わってきました。ゆえに当日の法要の写真とかあまり撮れませんでしたが、好天の中、盛大に執り行われました。

各種資料・記念品。
二枚あるしおり状のものは「華葩(ケハ)」と称する花びらを模った法具ですが、上の絵には「ヒノキ」「クスノキ」「モッコク」の絵柄があしらわれています。
これはそれぞれ、即如前門主、ご門主、そして、ご門主ご長男・敬さまの「おしるし」なのです。うーん、こういう文化が残っているのは有難いですね。
記念式典に先立ち、記念植樹(会館前のロウバイ)、龍谷保育園のご視察に引き続き、前述したように若手僧侶・門徒との懇談の場が持たれました。当局より「ざっくばらんな話でよい」とのことでしたが、ここは蓮如上人創建の堺御坊、チャラい話など出来ますかいな!。
懇談は非公開なので、明らかに出来ませんが、我々からの思いと、ご門主からの熱意とが絡み合い、一つの織物となった感があり、生涯忘れえないご縁となりました。・・・大学院時代にご門主とは共同研究発表をしたこともありますので私の顔もご記憶頂いており、御立ちの際に直接お声掛けを頂いたことは誠に冥利に尽きることでありました。
さあ、確かにこのご巡拝で「伝灯奉告法要」への機運が私自身、高まったことであります。宗門の幹部の方々は「法要自体の円成」を目的にしておられる方が案外多いのですが、法要とは信心獲得の縁のひとつ(プロセス)に過ぎません。常に課題を明らかにし、過去を検証することで、法要は成功と言えるのです。
私が一つ気になるのは、先の『親鸞聖人750回忌大遠忌』の総括が為されているのか、という点です。先の法要は宗門の現在においてどのような反省・成果を得たのでしょうか?
本願寺で法要をします、といっても実際の僧侶門信徒にとっては、関心の度合いが薄く、別院への通常法要への参詣が少ないのは課題の一つです。
・・・ここは今回の企画のように若手が頭を捻り、汗を流そうではありませんか。僧侶の高齢化が随所で目立ちます。40歳の者が「ボク、何も分かりませんので」などと通じる世界がどこにある?
オマケ。企画であった「法衣の試着体験」の一コマ。会議では抵抗感もありましたが、これもお寺への親しみを深めるための方便とご理解ください。

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2016/1/15
法務休日の金曜日、御正忌報恩講の大逮夜法要のある日、上山(本山に上がること)いたしました。
御門主様御導師、前門様御出座により『広文類作法』が勤まりました。
広い御影堂です。伝家の宝刀【AF-Sニッコール14-24mmF2.8G】をひっさげ、14ミリにて撮影しました。堂内の雰囲気が少しでも伝わりますでしょうか。露出補正マイナス1.7EV、外陣天井の格天井まで写し出しました。
・・・そんなことはどうでもいいのですが、やはり本山の法要は素晴らしいです。雅楽により静寂から大音声での読経へと誘われます。完成された信仰の様式です。

今晩から明朝にかけ、通夜布教も行われます。インターネット中継もあります。御正忌のクライマックスを迎えることであります。
さて来週、1月21日には本願寺堺別院にご門主様が巡拝に来られます。その際には、御面談の機会を頂きました。愚見を少しく呈してきたいと思います。

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2016/1/13
御正忌報恩講只中です。
ネット中継で画面を通しての参拝になりますが、いつもながら厳粛な法要・布教使さんそれぞれの味のあるお話が聴けて有難いことだなと思います。
・・・1月は法務が慌ただしく、なかなかリアルな本山参拝がままなりません。
さて、年明けより葬儀がいくつか続いていますが、今回はちょっと考えさせられる事案がありましたので、そのご紹介を、と思いまして。
今回は通常の葬儀でもなく、「直葬」でもなく、その中間型になると思います。
通常と異なる特徴として、箇条書きしてみますと、
@ ご遺体は自宅に戻られ「臨終勤行(いわゆる枕経)」を依頼された。
A その翌日に斎場に来てほしい、とのこと。→つまり、炉前での火屋勤行。
B 自宅に戻ってまたお参りに来てほしい、と。 →還骨・繰り上げ初七日法要。
喪主さんの意向として、要は「故人の遺志により通夜・葬儀」は望まない、とのこと。
いわゆる「直葬」ですと、自宅にも戻らず読経もせずそのまま斎場に直行ですから、この事例とは少し異なりますね。
私もいろいろと考えて、結局、「枕経」といえどもすでに死後2日経過していることですし【おかみそりの儀】をして法名を授与せねばならない旨を説明し、それは即ち「葬儀式」になることを事前にお話ししました。
差定としては、
@ 三奉請
A 導師焼香・おかみそりの儀・表白
B 葬儀用「正信偈」念仏・和讃二句・回向句
にしました。
今回は、久しぶりに導師と参列者(7名)と一体となって儀式が出来たという思いがありました。ご遺族のお顔にも感慨無量であったとの印象が窺えました。
「家族葬」や「直葬」に異議を唱える方は多いことですが、都市部に住まう人々にとりましては、それなりの事情があるようです。地方と都市部との温度差はやはり大きいのです。
先ずはご遺族の思い・意向に耳を傾けていく。お医者様で譬えれば【問診】に時間を掛けることが大切です。その上で葬儀の進行・意味を説明し、最終的にはご遺族が方針を決定していく。今回は短いやり取りでしたがご遺族とスムーズに意思疎通ができました。そこから住職と門信徒ととの「信頼関係」が生まれるのではないでしょうか?
通常の一連の葬儀の問題点、当たり前の中で我慢してきた思い、疲労の中で失われてきた故人との最後のひととき、不明瞭な支出等々。こういった不満が都市部の人々においては鬱積しているのです。そこに素性の分からぬ僧侶やイオンなどの業者が出てくる土壌があるのです。
擱筆に当たり、誤解の無いように申し上げますが、私は家族葬が悪いとか、伝統的な葬儀が時代に即さないなどとは一言も申しておりません。ご遺族の多様な思いに寄り添うことに意識を傾けて念仏の教えに触れていただく環境作りをしていく、というのが僧侶の役割ではないか、ということを模索しているのだ、ということに尽きるのです。

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