2016/9/19
例年9月はご葬儀が多いことです・・・
ご多聞に漏れず家族葬のオンパレード。
地元の方ならばそれでも訃報を聞きつけて、お通夜へと参列くださる。
それなのに「お葬式には内輪でつとめるから、くれぐれも気にせんとってくれと」のこと。
あのねえ「気にしている」んではないんですよ。
みんな、参らずにはいられないんですわ。
それに家族葬はあとあとで弔問客が自宅にとめどなく来られますから大変なんですけどねえ。
・・・さておき、昨日お伺いした新しいご縁でのお宅での臨終勤行でのことです。
亡くなられたご主人は30年にもわたり呼吸器系の病気を患っておられ、我が命を見限ってか、辞世の句と自らの法名をご自分で決めておられました。法名に関しては釋○○のあとに「××居士」と位号を付けておられましたのでご遺族に本来の形を説明して、○○の部分だけ採用させていただきました。
辞世の句にかんして、私も思うことがありましたので、僭越ながら色紙に揮毫し、1枚を納棺用に、あとの2枚をご遺族にお渡しすることにいたしました。

時を生き 時と別れし
時の無き世へ
この世の事は 夢の夢
・・・諸行無常の世界(人間界)から、常住(仏・涅槃の世界へということですね。
いのちの理を達観されてのご生涯であられましたね。
明日のご葬儀、精一杯勤めさせて頂きますね。

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2016/9/14
去る9月13日(火)、大阪教区教務所におきまして、「宗勢基本調査 教区別集計」報告会が実施されました。本山からスタッフが来てくださいました。
事前に各寺院宛てにアンケートが来ており、それに解答も済ませておきましたので興味深い報告会となりました。

今回のように全国規模のデータを分析することは大変有効な手立てであり、抽象的な議論になりがちなこれからの寺院像を、まずは数字を以て知ることが第一歩でしょう。
最後の質疑応答において、ある老齢の住職が、
「こんな数字の話はいいから、都市の過疎問題や宗教への無関心の施策を議論すべきだ」との声もありましたが、だからこそ先に数字を把握せねばならないのですがね・・・。
というか、老齢の住職の参加者が目立ったのが非常に気になりました。これからの話なのに若手僧侶が少ないという事実に、宗門の行く先はやはり暗いのではないか、との不安を覚えたことであります。
ところで、ビジネスの世界では「マーケットリサーチ(市場調査)」を徹底的にこなし、分析検討することで販路拡大を見据えます。今日ではとくにレジからのPOSデータをビッグデータに蓄積することが当たり前になりました。
私はこのやり方を宗教界にも取り入れ、人々の行動形態を徹底的に把握することが必須と考えます。そこに一切の私情や解釈を介在させずに、現状を客観的に知ることが先決です。
漠然とお寺に人を集めて布教活動をしても結局、同じ人しか来ませんし、新規の方を取り入れる術すら見出せません。いま、人々は何を考え行動せんとされているのか、気になって仕方がありません。・・・そこから「世俗を仏法化」する営みが現実化するわけですよ。
「ひろがるご縁・・・」のスローガンや理念を掲げても方法論が無ければ、砂上の楼閣に過ぎません。
仏法にマーケット(市場)とは何事か、という人がまだいるでしょう。
じゃ「ダイアグノーシス(自己診断)」という概念ならばどうでしょうか。そこからコンサルティング(業務支援)というソリューション(問題解決法)も検討されてしかるべきでしょう。
・・・・・・
質疑応答の場において、意地悪めいてこういう質問をしてみました。
「【門徒】と【信徒】【門信徒】の用語は、ご本山においてどのように区別されているのか?現場では各寺院において定義がさまざま(定義しない寺がほとんど)だが、宗門の基本単位であるだけにその定義を明らかにされたい。都市部においては旧来の方のみを門徒と称し、実際にはそれ以上の信徒がいるにも関わらず、所属戸数を過小申告する寺院もあるので、賦課金徴収にも影響が出ていることを承知されているのか?」
また、門徒推進員の方も関連して質問されまして、
「私は住職に勧められて帰敬式(おかみそり)を受けたのだが、ある講師が“帰敬式を受けた人が門徒で、受けていない人は信徒だ”と言われたが、そうなのか?!」と詰め寄られていました。
・・・現場はこれだけ混乱していることをよく示しています。
・・・回答は本山のお立場もあるだろうから、ここでの紹介は差し控えますが、この問題は実にデリケートかつ肝心の問題なんです。
フェルマーの最終定理ではないが、いくつかの未解決の問題が宗門にはあります。さあ、どなたか解を求めて下さい。

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2016/9/8
先日の、とある葬儀での話です。
家族葬でしたが、・・・それはよいとしてこの式場は何じゃ?

そう、部屋のど真ん中にタテに棺をおき、遺族が棺を囲み、導師はなんと、右奥の赤い矢印の狭苦しいところに座っていただきたいのですが・・・、とのスタッフの指示。
「What?」・・・何故か英語でツッコミたくなる。
狭すぎてイスが引けない・・・。入退場の際に、花粉が七条に付きそう!
セルビスグループ、要はメモリアルホールの式場だが、以前にも数回出くわしたことがある。遺族は細かい点まで分からないだろうが、そもそもこういう疑似洋館の葬儀ホールで七条袈裟をまとうのもバカバカしくなるというものです。
しかも当日の会場には50インチのモニターにて故人のスライドショーが儀式中に延々と流され、当然ながら皆さんの視線はモニターへ、という有様でした。
通夜の後、上層の方に伝えてくれと、思わずスタッフ(司会者)に言いました。
@ これは「告別式の部屋」であって葬儀式(浄土真宗の儀礼)を執行するにふさわしくない。
※告別式と葬儀式は違います。僧侶でもよく分かっていない人がいるようだが!
A 導師の向いている目線と遺族の目線がチグハグである。
B いっそお経はCDでも流しておけばいいんじゃない?
C 僧侶は刺身のツマか?!
若い司会者さんは葬儀の日、半泣き顔で打ち合わせに来ましたが・・・。「お前らもプロなら俺もプロなんだよ」って顔でニコニコしておきましたが。
葬儀の際には、最初と最後のアナウンスに「皆様、ご本尊にお向き直りの上、合掌・礼拝下さい」と案内してもらってその場を何とか「葬儀式」として収めましたが、スタッフやご遺族も私が黙っていれば、何の違和感もなく進行してしまうであろうことを非常に寂しく思いました。
・・・いや、逆に考えると、もはや特に仏教・宗教に関心の無い方々にとって、葬儀にはわざわざお布施を納めて寺方を呼ぶ必要は無いということです。もう我々の出番は無くなっていくだろうとの思いを強くしました。・・・その対策は私の頭の中にすでに描いていますが他寺院には企業秘密です。
ズバリ予言しましょう。あと10年もしない内に無宗教の告別式形式の葬儀が半分を超えていることでしょう。策を持たないお坊さんは失業です。
今回の喪家は普段のお参りも丁重になされて、仏法をよろこばれ、真光寺へのご貢献も多大なるだけに残念な葬儀となりました。
・・・が、繰り上げ初七日の法要において、住職全身全霊の法話を以て御遺徳を偲びつつ、親鸞聖人の往生浄土の肝要を熱く語ったことでありました、とさ。

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