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なむあみだぶつ
2017/12/23
先日、とある信徒さんより新聞記事の紹介を頂いた。
日本経済新聞29年11月21日付1面の、橋爪大三郎氏のコラム『戒名は自分でつけていいのだ』である。
・・・そもそもコメントに値しない駄文だが、これ以上誤解が広まらないよう、釘を刺しておこうと思う。年末に七面倒だが破邪顕正の為、致し方あるまい。
大体、こともあろうに日経新聞が取り上げていることにも首を傾げざるを得ない。専門紙はとことん専門に特化した記事を書いてほしい。先日、日経本社のトイレで焼身自殺があったが、大丈夫かいな?

内容は以下である。以下、原文に倣い「戒名」と記す。
@ 死んだら戒名をもらって葬式をしてもらうが、それは寺の既得権益である。
A 戒名辞典が各種出ており、一定のルールに従えばあとは文字を適当にあてがえばいい。
B ゆえに戒名なんか自分で名乗ればいい。
C でもお寺と揉めたくない人はお寺で戒名を貰ってください。
・・・これが東大を卒業した大学教授の言うことか!?
煩を避ける為、上の誤解を簡単に糺したいと思います。
@’お布施収入はまさに寺の利益(≠住職の利潤)だが、それは寺を護持する檀家の利益でもある。
A’筆者の親御様は「大三郎」という名を適当に付けられたのでしょうか?4キロを超えて生まれた三男だったのかな、と忖度申し上げます。
B’法名もそうだが名前を貰うのが目的ではありません。三宝を敬い仏弟子となる、戒律を堅持して生き抜きますという覚悟の宣言である。戒師やご門主といった方々の御前にて誓いを立てる、という行為こそが目的であり、戒名・法名はその果実である。このことがなかなかどうして、世間でご理解頂けない。
橋爪氏はお茶とかお花とかの世界、あるいは芸能の世界において、師匠に無断で【笑福亭○○】などと自分で名乗ったら、どれ程の非礼でナンセンスなことだか全く分かっておられないようだ。
C’揉める揉めないからの問題ではなく、本質が分からない人に戒名を出す必要はない。宗派問わず、元気なうちに、お寺に参って聴聞・修行してください。退職して時間のある方は朝から晩までパソコンに向かわないで、仏法を肌で感じて下さい!
@’〜C’にご納得頂けない場合、我々の言い方で申せば「仏縁が熟していない」ということですから、無理に仏式で葬儀を出して頂く必要はありません。私は依頼されれば全力で取り組みますが、施主さんと価値観が一つにならない場合は、その場に居辛くなります。行政に火葬だけ頼めば一応の事は済みます。もはや家族葬が主だから、世間体もへったくれもないでしょう?
死や葬儀は、最終的には「個人の価値観」の領域と承知しております。「ウチは代々○○宗だから、形だけでもやってくれ」とか、そういう江戸時代の話はもうやめましょう。もう平成の世も終わるんだから。
最期に、思わず大爆笑したのだが、この橋爪氏、・・・クリスチャン(日本福音ルーテル教会所属)だそうである!? 実に大きなお世話 でないか。
Wikipediaによると氏は昭和23年生、ふーん、団塊の世代かぁ。因習から解放されて自由を謳歌した世代ですね。20歳の時には全共闘の連中と新宿駅を通過する貨物列車の襲撃を起こしたこともあるんだとか。価値観の異なるものへは暴力も辞さないのか、ふ〜ん。全共闘世代は相手に「自己批判」とか言いながら、自分には相当甘い。
そうだ、いいこと思いついた。
この際、氏に「戒名」をお付けしようではないか!
「厚顔無恥院殿恥詰居士(こうがんむちいんでん はじづめこじ)」
どうだ、こんな立派な名前、やっぱり自分では付けられないでしょう?
自分で自分の顔を見られないように、客観的な視点で相応しい名前をご門主や住職より命名頂くのが筋なんです。「あなたはこういう人なんですよ」ということ。その新たな名前にふさわしいように人生を生き抜く、ということです。
そして、皆さん、本山の帰敬式を受式してください。あなたの心の何かが変わるんです。パソコンの前に居ては無駄な知識のみが増え、何も変わりません。不安だけが募るのです。
これにて、今年最後の住職説法といたします。
来年もよろしくお願いいたします。

9
2017/12/13
ご無沙汰しております、喉のカゼがずっと続いております。
皆様は如何お過ごしでしょうか。お参りは基本、バイクで回っておりますので、冷気が全身を覆い休まる間がありません。
気付けば12月半ば、バタバタするのが嫌なので色んな準備を進めています。人に頼んでも、結局自分でやった方が早く、気も使わないのですが・・・本当は住職たるもの、ドーンと構えて、というわけには行かない小寺院の弱音です。
さて懸案の一つには、年賀状作成。
先ずは門信徒の方で郵便局勤めの方がいらっしゃいますので、そちらで800枚購入。原稿は手書きの書画をスキャニングし、パーソナル編集長で作成、それをPDFファイル化してからSDカードに読み込ませ、なんばにあるKINKO’sにハガキとそのデータを持ち込んで印刷依頼。・・・これが今年から持ち込みハガキ料として一枚につき5円が加算・・・。
そして宛名・・・。門信徒の方は普段の宛名ラベルを貼付。
その他のお付き合いの方には・・・筆書きを続けております!かれこれ30年くらいは続けていると思います。・・・ええぃ、ついでに過去帖記入も。
本当に手間がかかるのですが、意地になって書いております。これも150枚くらいか?ま、でも筆の練習になると思い、きちんと墨を磨って書いています。

お寺のやることですから、どこかで「アナログ的な要素」を残しておかねばならないと思っています。
明日は本願寺堺別院の報恩講に出勤いたします。どこぞも別院の報恩講は参詣が少なく寂しいようですね・・・。

5
2017/12/2
去る11月29日午後3時より、第16回・真光寺仏教文化講座が開催されました。
テーマは【浄土真宗の葬儀の特徴】と題し、講師に本願寺派布教使・岸和田市慈光寺ご住職の藤正史先生に御出講いただきました。


前回記事との関連で、葬儀をめぐる議論が随所で交わされています。
自作の資料もご持参いただき、分かりやすく丁寧にご講義くださいました。
事前には「法話ではなく、分かりやすい講義を・・・」とお願いしておりましたが、当方の意図をお汲み取りいただきました。
この日はちょうど、近くにある葬儀会館『ティア美原』によります「仏事説明・相談会」が開催されており、事前に新聞折り込みが入っておりました。
葬儀社が仏事(葬儀も)の説明をする時代です。
・・・いよいよ寺院のやることが無くなってきたことに危機感を覚えます。
特に葬儀はぶっつけ本番、ご遺族は混乱と悲しみの中、なかなか住職の言うことに耳を傾ける余裕はありません。ですから事前に講座を開催し、非常に備えるのです。
私は再三申し上げているのは、これから(・・・もう出遅れ感が強いが)お寺で為すべきは法話ではなく「各種の講座」だと思います。テーマをきっちりと選定し、そのテーマに沿った質疑応答も交えて幅広い価値観の意見を拾うことです。
都市部の門信徒の方々はご法義云々以前の話に、仏教徒は、浄土真宗とは何たるかを御知りになりたいものと拝察します。・・・いや厳しい見方をするならば、もはや浄土真宗だの、寺なんぞには関心が無いのでしょう。
・・・そういった人々に何を訴えかけることが出来るのか、いろいろ悩んでいます。

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