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なむあみだぶつ
2018/1/21
坊守の友人から、こんな面白い腕輪念珠をいただきました。親玉の中をのぞいてみると、キャラクターが見えるのです!

広島県人の懐の深さを思い知らされますね!
また寒い日が来るそうです、皆様ご自愛ください!

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2018/1/8
ネットであれこれ調べていたら、“いつの間にか”アマゾンで中古本を買っていました。おそるべしアマゾン。近所の本屋が閉店し地域の文化レベルが落ちるのではないか、と危惧していますが、結局は知識も二分化していくことでしょう。
ネットを使えないということは文化生活のみならず、衣食住の実生活にも大きな支障をきたすでありましょう。
私は使いこなすとまでは言えませんが、まさに文明の利器だと痛感します。
日本なんて世界で見ればIT“後進国”。これからの2〜3年、日本が如何に遅れているか、ということを思い知らされるでしょう。フィンテック(金融技術)然り、AI(人工知能)然り。日本人は頭はそこそこいいのですが、人目や旧来の価値観を気にしすぎて、実際に新しいことを取り入れるということに関しては、いまだに鎖国時代のレベルです。・・・たとえば、もうすぐ世界では現金が無くなるのですが、想像すらつかないでしょう?
・・・閑話休題、住職は子どもの頃から、言葉に関して感受性が人より強かったと思います。大学一年のときだか、南無阿弥陀仏がサンスクリット語だと気付いてからは俄然、仏教の勉強に力が入ったと思います。
翻訳家になろうとは思いませんでしたが、翻訳家の能力というか、何ていうスゴイ人なんだろうかと思わざるを得ません。歴史や数十万の人命の行方も、翻訳一つで左右されるという話。

たとえば右の『歴史をかえた誤訳』24頁には、先の大戦末期にポツダム宣言が発表され日本の無条件降伏を連合国から要求されたところ、日本(鈴木貫太郎首相)は「静観したい」とするところを「神風が吹く」とかバカなことを言っていた国内世論を鑑みて、なおも強気に「黙殺する」と表明したのだそうです。
連合国側はこの「黙殺」を「ignore(無視)」、あるいは他の翻訳では「reject(拒否)」と直ちに翻訳されたところ、日本とは最早、交渉は通用しないと考え、後の2回の原爆投下の決断へと進んでいった、という驚愕の事実が紹介されています。
・・・実に恐ろしい話です。
言葉は結果として弾道ミサイル以上の起爆剤になったのだから。
昨今の北朝鮮事情にも似た状況だと思うが、ハングルと英語の間に誤解のないよう、翻訳家には細心の注意を払ってもらいたいものだ。北朝鮮側で将軍様を奮い立たせるよう、おかしな翻訳がすでに為されている可能性も否めないが・・・。
・・・なんでこんな話をしているのかというと、我々僧侶、特に布教使の方々は「お取次ぎ」と称して経典の内容を伝えているのですが、時折「そんなことお経に書いてあるのかな?親鸞聖人の思想からそこまで言えるのか?」といった疑問を感じる時があります。
布教と翻訳は違うと言われるでしょうが、世俗社会と仏法の世界との間には大きな隔たりがあります。門信徒のお立場から直接経典の奥義を解することは至難の業ですね。だからこそ翻訳者たる僧侶の社会的役割があるのですが、実に悩ましく、伝える難しさを感じざるを得ません。
僧侶は仏法の世界に陶酔するのではなく、世俗に寄り添わないといけません。もっとくだけた表現がいくらでもあるはずだ。
「悪人正機」「他力本願」「天上天下唯我独尊」等々、どうでしょう、いまだ誤解ばかりで正意が伝わっていませんね。
今年は翻訳に関する勉強をして、伝えるということのスキル(技能)を向上したいと思います。
仏教(真宗)以外の勉強をしないと、結果、仏教(真宗)は伝わらない。このことは自信を持って言えます。

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2018/1/1
皆様、新年あけましておめでとうございます。本年も「説法獅子吼;せっぽうししく」とは畏れ多いですから、「説法仔犬鳴」くらいでお付き合いくださいませ。僧侶たるもの、世の盲冥を照らすという社会的役割を忘れてはならない、と思う新年の所感。
今年の賀状を以て先ずはご挨拶まで。


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