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なむあみだぶつ
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2018/2/20
最近、以下のような子どもを対象とした仏教書が出てきました。
上は超宗派の「仏教伝道協会」刊行のもの。
下は「本願寺出版社」刊行のもの。
いずれも力作で、とてもよく練られています。
と、同時にこれらは子ども向けに限ったものではないな、と。
むしろ大人が読むべきではないか、と思ったのです。


「分かりやすさ」を追求することはいつの時代でも共通の課題ですが、仏教は高邁な哲学理論でもないですし、どこまでも実践を重視するものです。生きていくにあたっての様々な壁に対処すべく、より柔軟な発想、自分へのこだわりを捨て去るなどのブッダの智慧は、今こそ必要なのではないかと思います。
あえて比較するならば上の本は「生き方・考え方」を説いていますので、心の安定した社会性を身に付けた人間に育っていく、という方向性があるように思えます。
下の本は出所が出所なもんですから、どうしても阿弥陀様、親鸞さまとなってしまいますが、子どもに御恩報謝、云々とは少し無理・抵抗感があるのではないかなと思います。・・・無論、地域・歴史的に浄土真宗の価値観に染まっている所では何の問題もありませんがね。
そもそも、上の本は「心を育てる」とありまして、下の本は「子どものための浄土真宗入門」とのサブタイトルが附されています。これが上手く両書の特徴を言い表しています。
子どもでも大人でもいえることですが、特定の宗派のことのみを知ることは、結局、他に盲目的になり、価値観の異なる人とのコミュニケーションに支障を来します。これからの時代、外国人も多数出入りする時代に、こういうことではいいのでしょうか?
外国人に「浄土真宗」だとか「親鸞聖人」などといっても一切通用しません。でも「ブッディズム」は通用するのです。人類普遍の価値観が仏教にはあるわけで、そのことを発信するのが上の本です。これは是非とも諸外国語に翻訳することを切望します。そしてそれらをすべての宗派のお寺で配布し、その上で自らの宗派の話をする、これが教化伝道の「筋」だと考えます。
・・・私がこういう主張をする背景には、大学院時代の「現代教学研究会」という集まりのなかで学んだ比較言語・比較宗教学者のマックス・ミュラー(Friedrich Max Müller, 1923-1900)の『宗教学入門』において、
「一つの宗教しか知らないものは、いかなる宗教も知らない」
という言葉に感銘を受けたからです。このミュラーの言葉は詩人ゲーテの「一つの言語しか知らない人は、どの言語も知らない」に触発されてのものです。
また「一つしか知らない者は、一つも知らない」(He who knows one, knows none.)とも言われた。つまり、山を動かすほどの信仰を持っていても、宗教とは何かという問いには答えられないということである。
・・・さぁ、皆さんはどう思われますか?
実際、ウチの子どもたち2人には若い内から宗教・哲学を学んでほしいなどとは、ゆめゆめ思っておりませず、まず自然科学の考え方を体得してほしいと思う今日この頃です。20年後は文学的アプローチで仏教が伝わるとは思っていないからです。
ちなみに、真光寺門信徒会会員の方には上の本は近く、謹呈いたしますね。

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2018/2/6
去る1月30日、大阪大名誉教授・浄土真宗本願寺派専立寺前住職・大峯 顕(おおみねあきら)先生が、急性心臓死でお亡くなりになられた。88歳とのこと。俳人としてもご活躍の多才な先生でありました。
坊守の実家(専立寺様と同じ組内寺院)との電話で知ったことでありました。

先生は京都大学大学院の哲学科を出られ、西田幾多郎、西谷啓二先生の系譜での学問であられたが、宗教哲学的な立場からの親鸞聖人思想のアプローチは私自身、非常に影響を受けたと思っています。著書もたくさん読ませて頂きました。
本山の正統な学者先生とはちょっと畑の違う先生でしたが、それゆえに自由闊達な、私は大峯先生の思想こそ正しく親鸞聖人の思想の核心を突いておられると思います。それは実に「宇宙」規模のお話を為さったからです。
本山に籍を置く諸々の大方の先生方の話は六条堀川の塀を出ない話です。この際、はっきり申しますとね。この点、分かっていない人、多すぎますよ。やれ勧学さんだ、和上さんだ、と権威主義者ばかりで困るね・・・。
大峯先生が法衣姿でご法話なさるときは、おおよそ教授といった風体でなく、実に飄々とした感じで仏法をお話になる。そのお姿に尋常ではない雰囲気を感じたものです。クスっと面白いこともよく言われ、もう二度と聴聞することができないのか、と思うと残念です。法話とはかくありき、でした。
先生の思想をよく紹介されております、以下のサイトをご紹介します。
【宇宙の中のいのち】
大峯先生らしいやりとり、思想の真髄がよくあらわれていると思います。
きわめて残念ながら、大峯先生の学風を継承する先生もさして見当たらず、また一つ浄土真宗の未来が暗くなったと思わざるを得ません。
先生に於かれましては長きにわたる御教導、感謝の念に堪えません。
南無阿弥陀仏・・・。

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