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目指せ1000記事投稿!(2021・2月1日現在918本)
なむあみだぶつ
2019/9/30
9月ももう終わりか!
今月は更新2回と低迷・・・。
今月は、かなり忙しい月となりました。
頑張って最後に1本投稿。

当院では月に1回の頻度で更新しております。
立ち止まってメモされる方々も多く、気が抜けません。
さてさて・・・。この言葉は歌舞伎町ナンバー1のホスト、ローランド氏によるものです。

今年読んだ本でベストでした。
政治家も僧侶も言葉がなぁなぁでサッパリだめだな、と思う今日この頃。なんていうか、人を傷つけないでおこう、という意識が強すぎて結局何を言っているのか分からない、という。
一方、新興の経営者の言葉はとても魅力的で、バッサリとした切り口です。
組織や伝統に胡坐かいている者と、のし上がっていく者とではエネルギーからして違う。そして人生、いのちそのものへの視点も違う。
名言をいくつかご紹介しましょうか。
【仕事道具に愛情を持てない奴は、仕事に愛情がない奴】130頁
【先の見えない人生が怖いって?俺は先の見えた人生のほうがよっぽど怖いね!】198頁
ローランドは好き嫌いがはっきり分かれるでしょうね。
努力家は親ローランド、批評家は反ローランド、かな。
ローランドと仏教、何が関係があるって?
読んでから言ってみてください。
何事も偏見が一番良くないことです。

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2019/9/6
『月刊住職』2019・8月号より。

朝日新聞2019・9・4号より。
最近、このような話題があります。
「キャッシュレス」とは、現金を介さない決済方法です。その技術を支えるフィンテック(フィナンシャル・テクノロジー)の成長分野は凄まじいのですが、日本は治安がよいこともあり、世界でも最下位レベルのキャッシュレス、IT後進国です。
私は普段の買い物では現金を使わなくなって久しいです。何より小銭の出し入れが煩わしく、店員さんの労働負荷やら衛星面を考えると現金決済を選ぶメリットが感じられません。
・・・しかし、お布施のキャッシュレス化については、慎重さを要すると思います。
両記事の掲載の大阪市内の同派の寺院はこういうことを言われます。
「葬儀の時に急な現金が用意できない方への対応・・・」と言われますが、これはしばしばあることで、当方ならば「後日で差し支えない」とお答えし、それで何らの問題はありません。何か別の意図があるのでしょうか?
お布施と一般の商品決済の最大の違いは、お布施はやはりお盆に包みを載せて恭しくお預かりする点です。
皆様には是が非でも勘違いしていただきたくないのですが、お布施は僧侶に対する報酬対価ではありません。我々がどんなに立派な儀礼を為したところで、それは仏法・経典を元になっているが故に、お布施は僧侶がいったん受け取り、ご本尊様の元へささげる為に「お預かり」しているものに過ぎないのです。
帳簿の上でも、お布施はすべて「宗教法人〇〇寺」の会計に入ります。それに対する法人税はかかりませんが、住職以下、所属僧侶はお寺から給与を得て生活します。それには当然ながら源泉所得税やら府市民税などが抜かれていきます(坊主丸儲けに非ず)。
施主様方がお盆に載せて恭しく差し出される行為にはそういう意味があります。
我々はまた法要儀式の装束をまとった際にお辞儀の礼を受けることが多いのですが、それも僧侶自身に一礼ではなく、仏法を象徴する袈裟に対するものである、と私は受け止めています。そのような考え方に似ているでしょう。
かかる考えのもと、手元の電子決済機でお布施が「チャリーン」と鳴るのは如何なものでしょうか?著しく儀礼を軽視するものと言えないでしょうか? それこそ坊主丸儲けといったイメージを助長させはしないでしょうか?
また細かい話をすれば、電子決済はその運営会社に手数料を3%程度支払うのですが、それに対しての税金が発生するでしょう。これもまたややこしい話になります。
幸い、お布施のキャッシュレスに対する反応は冷ややかですが、便利だからという理由で普及されますと、宗教儀礼の本質までもが損なわれるでしょう。
つまりは、お布施の授受は「決済ではない」のです。「便利だの、時代だから・・・」では“決”して“済”まされないのです!・・・お後がよろしいようで。
※ちなみにお布施には「領収書」は出ませんが、必要に応じ「志納証(収入印紙不要)」として発行いたします。後見人弁護士や家族信託が絡む葬儀では求められる例がありますので、ご住職方は要望があれば発行くださいますよう・・・。
※日本は現金至上主義ですがその要因の一つとして、概ね農耕民族だからだと考えます。彼らは非常時の為に、穀物を「蓄える」ことを至上としてきたので、いつでも使えて視覚化できる現金は非常に魅力的だったのです。定住型なので奪われるリスクも低かったでしょう。一方で平常時には蓄えは何の役にも立ちません。銀行・郵便局・農協に眠る大量の余剰資金はひたすら国債へと費消されるばかりです・・・それはそれで大事なんでしょうがイマイチすっきりしません。
※他方、狩猟民族をルーツとする欧米人は移動を旨としますので、蓄えるという概念に乏しいのです。肉が余れば(腐るので)その場で誰かに売り渡すことでしょう。経済面で言えば余財はリスクを計量しつつ投資に回す人が多く、新規産業が育ちやすいと言えるでしょうか。またキリスト教の倫理観として余財は寄付に回されるべしとされ、大学や病院が発展する、ということも大きな利点と言えると思います。
※日本人も発想を変えて、余財ある方は寄付を通じて存命の内に大いに社会貢献いたしましょう!現金の方がやはり達成感がある!?

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