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なむあみだぶつ
2019/11/24
実を言うと以前より【報恩講】について、いくつかの疑問点がある。
なぜ【親鸞忌・開山忌】などと言わないのだろうか?
「報恩講」の初見は本願寺第3代・覚如上人が曾祖父である親鸞聖人の33回忌をきっかけに著された『報恩講私記』という書物にある。
覚如上人はしたたかな御方で、今でいう敏腕プロデューサーというか、オーガナイザーと称すべきか、親鸞聖人を神格化し、門弟の尊崇の念を一気に御真影・本願寺へと収斂させる意図があった。
大谷廟堂を寺院化し、比叡山からの独立を果たしたことや、十字名号をご本尊とする、としたことは大きな功績でしょう。
しかしなぜだかこのことは宗門の歴史的にはあまり重要視されない。本願寺ならばお彼岸やお盆なんぞ、一般寺院に任せておいて盛大に【覚如忌】を勤め、本願寺の意義を再認識させるべきではないか、と強く思うのですが・・・。
『報恩講私記』は覚如上人が若くして書かれ、その教養が全面的に発揮された格調高い文章で綴られているのだが、その内容はいささか感情的で、将軍様を美化する某国のプロパガンダ新聞の文体に似ているといえば怒られるだろうか?・・・もし、親鸞聖人ご自身がこの文体を見れば相当ご立腹なさるだろうな、と。・・・私は主観に陥りがちな宗教にこそ客観的な視座が必要と考える者である。
『報恩講私記』はそれとして、不思議なのは後々【親鸞忌・開山忌・御忌】と言わないで法要自体をなぜ【報恩講】と称したのだろうか? 報恩という言葉はちょっとややこしい言葉なのである。
ちなみに浄土宗では毎年1月に【御忌会(ぎょきえ)】が勤まる。私はこの言い方が好きだ。
・・・今回はなかなか刺激が強い内容であったでしょうから、皆様も頭を冷やして続きはまた。・・・こんなこと「本願寺派布教使」の資格を持っていたら言えない、言えない!フリーでよかった。

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