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なむあみだぶつ
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2021/1/27
緊急事態宣言中とはいえ、日常はいたって穏やか・・・。穏やか、と言ったら言ったで不謹慎とか言われたりしますね。
さぞ飲食店は厳しいことでしょうが、でも8時閉店とか補助金とかいうよりも、単純に入店制限すればいいだけの話じゃないか、と思ったり。困っているのは飲食店だけでもないですしね。
・・・さて日本のコロナ報道と海外とでは趣が違うそうです。
日本では日々の感染者数や重症者数、ベッド数が主眼となっていますが、海外ではワクチンの流通の話が主になってきているようです。国民性が悲観的か、楽観的かという違いかもしれません。「リスクを危険性」、と理解しているようなレベルでは、そもそもあきれてものが言えませんがね。
前から言っておりますように私はワクチン接種を後押しする者です。
しかしお参り先でそれと無しに聞いてみると9割の方が「打ちたくない、様子を見たい」と言われます。不安は理解できますがね・・・。どうしようもないですよ。
私はふと表題の「ノブレス・オブリージュ」という言葉を想起しました。
「ノブレス・オブリージュ(Noblesse oblige)」は、フランス語の「貴族(Noblesse)」と「義務を負わせる(Obliger)」から誕生した言葉。騎士道にも通じ、戦争勃発の際、真っ先に最前線に向かうのは貴族であったことに由来しています。古代ローマでは貴族が道路や建物の寄進をしたことにも端を発します。
財産や権力など社会的地位を有する者は、それ相応の社会的または道義的義務を負わなければならない、という意味です。多くの富を持つ者から貧困層への富の分配、貴族や富裕層による社会貢献活動が、果たすべき義務ということです。
現代では経営者のマネージメント理念の一つとしても取り上げられ、社会的模範としてふるまうことが、地位のある人に求められる人物像と捉えられています。
さぁ、まずは【上級国民】と揶揄されたる政治家の先生、率先してワクチンを接種していただこうではありませんか?影響力のある芸能人・企業家も垂範して接種したらどれだけ国民の行動に寄与できることでしょう。・・・ホリエモンとか、偉そうなことばかりほざいて、今頃何してるんだろう?
ひいては宗教家の皆さん、我々が上級かノーブルかは別として、やはり社会からある種の期待を寄せられている存在です。「いのちを大切に」などの口だけのスローガンやポスター掲示はもういいですから、とりあえず接種しましょう。万が一の副反応で今さら我のいのちが惜しいですか?
お釈迦様がおっしゃたように、人には【生まれながらの貴賤はありません】。しかし【行動により貴賤はある】のです。
この国には「地位は高いが気品が無い人、資産はあるが財施を渋る人」があまりにも多すぎます。だいたい、顔つき・立ち居振る舞いからして品のある人が減りましたね。
ノブレスは平常時には学問や文化創造に蓄財など不要不急のことをしていればいい。しかし今は国家の非常時、身を挺して社会に向けた行動を起こすべき時節が到来しています。

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2021/1/14
再び緊急事態宣言が発出され、引き続き厳しい情勢となってきました。
・・・が、しかし昨春の同宣言の緊迫感は正直、感じられません。

とりあえず、宣言期間中の月参りのお方に、上のようなご通知を順次出しております。
専門的なことはよう分かりませんが、思うことをポツポツ、と。
@ ワクチン接種は高齢者・持病有りの方を最後にして、若い連中から接種を進めた方がいい。年寄りを実験台にするな!
A 飲食店の午後8時閉店はかえって8時までの集客が重なり密になる。入店人数を3分の一程度に制限・徹底した方がよいのでは?
B @Aに関連して、ワクチン接種証明書を発行し、接種したものは優先的・制限なしに店への出入りを許可させる。
C 各宗本山においてマスコミを入れて、何らかの「コロナ平癒法要」を勤めてほしい。
・・・人々の不安解消は今も昔も神仏への祈願だ。本願寺でも「祈願」と言わずとも表現変えて法要を勤めれば、世間の評価が一層高まるに違いない!今がチャンスだ!!!!
年ばっかり食ってるエライさん方よ、ボーッとしてんじゃね〜よ!
D ワクチン接種以外に感染収束の方途は無い、
断じて無い。
阿弥陀様も「接種不捨」とお誓いになられます。
・・・お後がよろしいようで。

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2021/1/6
先に上げた年賀状のイラストを見て「十牛図の一つか」、と思われた方は寺院関係者の中でも案外少ないと思われます。
今年は丑年、私の当たり年でもありますから殊更に興味深い内容と思い、年賀状に絵を書き添えました。
十牛図とは何か、ちょうどいい外部サイトがありましたので、ご参照ください。
【悟りに至る過程を段階的に描いた十牛図】
この話とよく似ている西洋の童話が、
【青い鳥・・・兄チルチルと妹ミチルの物語】
です。
ともに「悟り」や「幸せ」という人生の大目標を求めて外に出る話ですが、結論は身近にあったのだ、とする展開です。
十牛図は禅における悟りへの階梯の話ですが、真宗的に見ても面白い話です。
求道・信心への過程が疎かになってはいけません。本山から発せられる仏法の内容はゴールから始まりますから、初心の者には一体何のことやら分からないと思います。丁寧に丁寧に、求道者の心理変化の過程を追従し、信心への味わいを深めていくべきでありましょう。
また、家にある仏壇を時代遅れのお荷物と思い、若い時分は遊学・放蕩したけれども、年老いて改めて南無阿弥陀仏、と自然に称えていたことに気付かされました、と言われる方も少なくありません。
大切なものは既に私たちの身のかたわらにあるのです。

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