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なむあみだぶつ
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2014/6/24
先の東京都議会における、男性議員による女性蔑視発言。
被害者の女性議員は、ちょっと広末涼子に似ていますね・・・。というのは私の善意的主観で蔑視ではありませんよ。
一政治家の発言として社会的な問題となっていますが、ここはひとつ、我らが身に置き換えて考えてみたいと思います。
政治家と僧侶、共通点があるとすれば「いろんな立場の方々を念頭において、ひとつひとつ言葉を選び、実践して、世の為、人の為に尽くす」点だと思い、あまり他人事として聞くことが出来ません。
当ブログにて幾度もお話ししたと思いますが、仏教には言葉に関するタブー、戒めが多々ござまして(不妄語・不綺語・不両舌・不悪口など)、もしくは「誹謗(ひぼう)」なる語がよくみられ、その悪業の因果を厳しく追及されます。
親鸞聖人は『教行信証』「信文類」に曇鸞大師の『論註』を以下に引用されます。
誹謗正法の人は阿鼻大地獄のなかに堕して、この劫もし尽くれば、また転じて他方の阿鼻大地獄のなかに至る。かくのごとく展転して百千の阿鼻大地獄を経と。仏、出づることを得る時節を記したまはず。誹謗正法の罪、極重なるをもつてのゆゑなり。また正法はすなはちこれ仏法なり。この愚痴の人、すでに誹謗を生ず、いづくんぞ仏土に願生するの理あらんや。
・・・『浄土真宗聖典註釈版』297頁
また、
もし諸仏・菩薩、世間・出世間の善道を説きて衆生を教化するひとましまさずは、あに仁・義・礼・智・信あることを知らんや。(同298頁)
と。「仁・義・礼・智・信」とは儒教で説く人道の徳目ですが、それは仏法を大切にする姿勢より生じるといいます。
これがきわめて大事なことです。
世のあらゆる人々は、共存共栄のために「倫理・道徳」を実践せねばなりません。それは自己中心性とは全く相容れないものです。
倫理はすなわち「人としての生き方」ですが、その生き方は、人自身が創出できうるものではありません。間違いを起こしうる人そのものがどうして、人の道を説くことができるのでしょうか?
人を正しく導くのは、「仏法」です。
また人は人の非を批判することもできません。渦中の議員はワイドショーの格好の標的になっておりますが、「寄ってたかって、お前らもそんなエラそうな事言えるのか?」とツッコミたくもなります。自分もまたそのような可能性を常に秘めているからです。
そう思うとワイドショーも大概、罪な番組だと思いますね。

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投稿者: 管理人・釋 世雄
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